温故知新!アイディアのヒントが得られるかも…

terutora

タイポグラフィー・ロゴタイプデザイン

「の」の字(かな民)を訪ねて 〜自分の書体を描く〜

中学生の頃に私が住んでいた街は小さかったこともあり、「この街の看板は全部ボクが描く」と本気で思っていました。しかし、一方で現実は美術学校進学へと動いていたのです。受験して、失敗して休息の時間を得、再び立ち上がったときにはデザイナーになっていました。そんな動きの中で「の」の字と出会い、「自分のデザイン」に「自分の描いた字を使う」という新しい目標を持ちました。
タイポグラフィー・ロゴタイプデザイン

憧れの文字を書く 〜謄写版文字に魅せられて〜

好きなことは他にもありました。しかし、ドキドキしたのは写真の引き伸ばし現像をしている時とペンで四角い文字を書いている時だけでした。謄写版印刷がやりたかったのではなく、謄写版文字が書けるようになりたかったのです。自在に書けるようになったら、孫悟空の如意棒のようにどんな事でも可能になるような気がしていました。
シンボルマーク

シンボルマーク「墓碑」〜養源寺「合祀墓」の場合〜

お墓に関係したデザインは三度行いました。最初は在日韓国人の方からの依頼でした。日本でお墓を建てるために「家紋」をデザインしました。2度目は母の死をきっかけに池上の養源寺さんにお墓を建てることになった時、「竿石」に「皆歸妙法」と筆字を書きました。今回、養源寺さんから依頼されたのは「合祀墓」。テーマは「宇宙」。聞き慣れた言葉だけれど大きすぎるテーマでした。
Illustrator

[Illustrator]同心円グリッドツールの使い方
〜線幅とアキ(線と線の間隔)を任意に設定して同心円を描く方法〜

『解説 般若心経』の装幀でコンパスで描いた同心円を Illustratorの同心円グリッドツールで再現しようとしたら設定項目に「線と線のアキ」が無く、アキは「なりゆき」になっていました。コンパスで描いた時は線幅とアキを同じにしたり、アキを狭くしたりしてモアレの美しさを求めたのです。今回は、同心円グリッドツールで「線幅」と「線と線のアキ」を自在に設定できる方法を模索してみました。
本のデザイン

本のデザイン『解説 般若心経』の装幀
〜「響き」をつくる〜

アイディアが出ても使えるかどうかは形にして見なければ分かりません。ものづくりで大切なのは「どうしたいのか」という思いと、それを全うする心の強さです。一言で「響き」と言っても色々あります。膨大な作業を行って思い通りの結果を得られたのですが、心には満たされない何かが残っていました。終わったところから新たにつくる勇気を持てたことが成功へと導いてくれました。
本のデザイン

本のデザイン『解説 般若心経』の装幀
〜アイディアはどのようにして生まれたか〜

今回は「装幀」のアイディアが出るまでを綴ります。その頃、出版関係の仕事には不思議な事が沢山ありました。例えば広告料金は車やファッションの半額でした。デザインの仕事も業者仕事と作家仕事の区別があります。また、本の部位の呼び方もいろいろあります。それらは国の伝統文化に根づいてきたからです。
タイポグラフィー・ロゴタイプデザイン

冊子のロゴタイプ『ようげん寺報』の場合

今回はお寺さんの発行する冊子のロゴタイプです。作業に慣れないスタッフを使ってのモノつくりは自分で行うよりもずっと難しい。冊子がお寺と言うことで筆字に挑戦したけれど、毛筆はX軸、Y軸、Z軸に時間を加えた表現の場で躍動するものなので、これをコントロールして一定の完成度にまで仕上げるのはもっと難しかった。お詣りする善男善女風に外連(けれん)を配して素直な「字」に仕上げた。
タイポグラフィー・ロゴタイプデザイン

雑誌のロゴタイプ『S-Fマガジン』の場合

友だちが勤める会社に招待されることは、社会に慣れない若者にとっては舞い上がるほど嬉しいものです。ましてや憧れていた雑誌の表紙を担当することになり喜びはこの上ありませんでした。これより前に行った『ミステリマガジン』のリニューアルは『S-Fマガジン』の仕事を行いやすくしてくれました。
タイポグラフィー・ロゴタイプデザイン

雑誌のロゴタイプ『ミステリマガジン』の場合【制作編】

『ミステリマガジン』表紙のリニューアルで行ったロゴタイプ制作風景です。ボツというストレスにどのように対応してロゴは完成したのか。「早い」「簡単」がもてはやされていますが、時間は不思議な力を持っています。「正確さ」が正義のようだけれども見ているものが違えばそれは「悪」。つくる人は心をしっかり持つ必要があります。
タイポグラフィー・ロゴタイプデザイン

雑誌のロゴタイプ『ミステリマガジン』の場合【打ち合わせ編】

日本では1964年の東京オリンピックを境にしてグラフィックデザインという職業が認知され始めました。それから10年を経てデザイン会社が増え始め、1970年代に二度のオイルショックを経て経済が安定化に向かうとデザインの仕事が増え、作業は分業化へ進みます。それはデザイン界の変動の時代でもありました。その頃に『ミステリマガジン』はリニューアルを計画しました。