1960〜1970年代の印刷
私がこの業界(出版とグラフィックデザイン)で仕事を始めた頃(1970年代)は、一般印刷の主流が活版印刷からオフセット印刷への移行期に当たります。
新聞は全面活版印刷でしたが、雑誌はグラフ誌などのように写真を中心とした誌面つくりが行われているものはオフセット(一部、グラビア)で印刷され、一般の週刊誌などは本文は活版印刷で、カラーページはグラビア印刷かオフセット印刷、モノクロの写真ページはオフセット印刷が導入されていました。後にグラビアはオフセット印刷に取って代わられますが、出版界では、その部位はオフセットで印刷されていてもグラビアと言い慣わされています。
書籍は図鑑などのように写真や図版を多用するものはオフセットで、文字が中心になる読み物のようなものは活版印刷を使用し、口絵や装幀はオフセット印刷が使われていました。
また、官庁や一般企業の挨拶状をはじめ、名刺や報告書、伝票類などのような簡便なものは活版印刷でした。後には一部、軽オフと言われるオフセット印刷が使われ始めています。
話は逸れますが、私の故郷には嘉穂劇場という役者さんたちが憧れる舞台がありました。そこで行われるイベントの告知は華々しく、県道沿いに何キロも立て看板が並んでいました。それらのすべてが孔版印刷(シルクスクリーン印刷)によるものでした。それはシルク印刷のカッティング法による文字だけの看板でしたが、私はその文字に憧れました。それ以上に印刷された太い文字のテクスチャーに魅かれていたのです。
それはケント紙にポスターカラーで塗った時のマット調の風合いに似ていて、それでいてポスターカラーとは違った定着力というか、色の存在感が素晴らしく見えていたのです。当時はそんな看板をつくる仕事に就て、街中を自分の描いた文字で溢れさせたいという野望(!)を抱いていました。
印刷方式のいろいろ
ここで印刷方式を簡単に整理しておきます。
印刷は使う版の種類によって「凸版(活版など)」「凹版(グラビアなど)」「平版(オフセット)」「孔版(ガリ版、シルク印刷など)」の4つの方式に分けられます。
【活版印刷】活版印刷とは、活字を組み合わせて作った版=活字組版を使った印刷方法です。活版印刷は凸版に分類されます。
凸版印刷の基本原理は印刷したい部分が凸状に製版されており、その部分にインキを付けて紙を乗せ、上から圧力をかけることで紙にインキを転写します。いわゆる木版画と同様の仕組みです。
しかし木版などは一枚の板からできていますが、活版印刷は文字のひとつひとつが別々の活字でできているため、これらを組み合わせることで何度も版を作り変えることができます。
※【紙型】活版印刷の耐久性は平均7,000枚と言われています。少部数の印刷には問題ありませんが、例えば書籍などを大量に印刷するとなると活字がすり減ってしまいます。そこで登場するのが紙型(しけい)と鉛版(えんばん)です。
紙型とは特殊な紙に湿気を持たせ、活字版を型押ししたものです。型押しした後に紙型を乾燥させて表面に鉛を流し入れて鉛版を作ります。鉛版も活字と同じ材質なので、耐久性には乏しいのですが、同じ紙型から2枚の鉛版を作ったり表面をメッキ加工する事により、耐久性を向上させる事ができます。また紙型にカーブを付けて鉛版をつくる事で輪転印刷用の版を作ることもできます。
つまり、大量に印刷が必要になった場合には紙型をとって対応しているのです。
【オフセット印刷】オフセット印刷は平版印刷という印刷方法のひとつです。版に凹凸がなく水(湿し水)と油(インキ)との反撥し合う性質を利用したものです。アルミに感光剤を塗布してある版(PS版)を感光させて感光剤を除去すると、油がのる部分と弾く部分ができあがります。その版に油性のインキを塗布すると水の部分はインキが弾かれます。こうしてできた原版からゴムブランケット(転写ローラー)などの中間転写体に転写(offset・オフセットの名の由来)した後、紙などに印刷します。
この動きを機械が高速で行うため、短い時間で素早く美しい印刷物を作成できます。
【グラビア印刷】グラビア印刷は凹版印刷の一種です。凸版印刷とは逆に、版に凹みをつくってそこにインクを流し込み、紙やフイルムに印刷をする方式です。この方式ではインクに厚みを持たせることができるために、高品質で色鮮やかな表現ができ、写真や絵を美しく印刷できます。かつては雑誌のカラーページなどの印刷に使われており、その部分をグラビアと呼ぶようになりました。今日ではオフセットが主流となっていますが、その部位の呼び名は「グラビア」として残っています。
現在グラビア印刷はプラスチックフィルムや金属箔など、紙以外の軟包装材料に使用されています。
【軽オフ】オフセット印刷が金属製の版(刷版)を使用するのに対し、紙製の版「ピンクマスター」を使用して小型の印刷機で刷る、簡易のオフセット印刷です。製版コストが安く、小ロット・低価格の印刷物に向いています。版が紙製で強度が無いため、大部数の印刷はできません。また、網点がつぶれやすく、写真を含む精密な印刷には不向きです。
【オンデマンド印刷】オンデマンド印刷とは電子写真方式やインクジェット方式などを利用した高速デジタル印刷機による印刷方法です。「オンデマンド」とは「必要なものを、必要なだけ、必要なときに」という意味を持ちます。オンデマンド印刷ではレーザープリントがメインで使われています。レーザーにより生じる静電気でドラムユニットに絵を描き、そこにトナーを定着させ、紙へ印字する仕組みです。会社などに設置してあるトナーを使用する印刷機と同様のものです。
令和の時代でも以上のような多様な印刷方式は存在していますが、一般印刷の主流はオフセット印刷と言っていいでしょう。
しかし、1970年代はまだまだ活版印刷が元気でした。私が現場に入ったのはそんな混沌とした時代でしたが、それと並行するように文字も活字から写植の時代へと変化していきます。
このように、1960〜1980年代の印刷業界は混沌としていて、様々な印刷方式の個性が輝く最後の時代でもありました。
本つくりの段取り
私の最初の現場は出版社でした。21、22歳だったかと思います。上で述べたように業界は活版印刷からオフセット印刷へ変わろうとする頃だったので、一冊の本に活版印刷とオフセット印刷が使用されていて、文字も写植と活字があり制作が複雑になっていました。
以下は書籍を作成する際の原稿入稿から下版(印刷前)までの制作の流れです。
原稿+本文組み体裁指定入稿
↓
初校出/初校作業
↓
初校戻し
↓
再校出/再校作業
↓
再校戻し
↓
三校出/三校作業
↓
三校戻し
↓
念校出(この時、場合によっては印刷所への出張校正)/念校作業
↓
念校戻し(責了または校了)
これに本文中の写真や図版、オフセット印刷による口絵、装幀などを本文の段取りのタイミングに合わせて別に進行します。
段取りは現在と変わりませんが、DTPになったことで以前は印刷所の製版部で行っていた色分解やフィルム撮り、校正出しの作業が編集者やデザイナーのPC上で行われるようになったので、「仕上がりの誌面」が編集やデザインの現場内で確認できるようになりました。修正するにもフィルムの撮り直しなどがなくなったので短時間、低コストですむようになりました。
以下は本文と本文中に配置される写真や図版などと、オフセットを使った口絵や装幀が無駄なく進行するための制作のチャートです。
凸版(別版)部をデザインする
元々デザイナー志望だった私は出版社で2年近く働いたところでデザイン会社に転職しました。
転職した先は大手企業が出版している求人情報誌関連のデザインを請け負っている会社でした。タイトル周りのデザインやレタリングによる中吊り広告の制作をしていると聞いていました。レタリングは独学だったので学べることを期待していたのですが、私が入社した時には中吊り広告も手描き文字から写植へ移行していて、すでにその仕事は無くなっていました。
この時代、雑誌にはレイアウトマンというスタッフまたは作家さんがいましたが、雑誌をトータルでデザインするアートディレクターはごく一部の雑誌にしかいませんでした。ほとんどの雑誌は編集者がその役割を担当していたので組版指定レベルのものでした。しかし、予算が組める雑誌では、少しでもセンス良く仕上げようとしていて、タイトル周りのデザインや写真ページのレイアウト、飾り罫のデザインなどを部分的にデザイナーに依頼していました。私の会社はそのようなデザインを担当していました。
当時、私は阿佐ヶ谷に住んでいて仕事場まで総武線、都営6号線(現在、都営地下鉄三田線)と電車を乗り継いで通っていました。出勤時も帰宅時も、電車に乗ると真っ先に目をやるのが車内の中吊り広告でした。すでに全てがオフセット印刷で写植の使用が進んでいましたが、記事の見出しだけは手描き文字(レタリング)でした。やはり描き文字はインパクトがありました。
『週刊新潮』のレタリングは個性的でした。記事内容が斜に構えている割にはこじんまりとした、几帳面な文字で真面目感がありました。『週刊現代』『週刊ポスト』の文字は筆使いが大胆で勢いがあり、センセーショナルな感じがありました。『週刊現代』『週刊ポスト』の双方ともに完成度の高いレタリングでした。
そんな中吊り広告が並ぶ中、書籍の広告が気になっていました。出版社に入社した時に、週刊誌と本を読む習慣をつけるように言われていたからです。
いつの頃だったか、書籍には「の」の字が入っているタイトルが多いことに気づきました。そして一冊の書籍の広告が私の目を捉えたのです。描き文字で埋め尽くされた中に「の」の字を見たのです。それは写植文字でした。本の装幀には描き文字が多用されている中、タイトルに写植の「の」の字が使われていることと、それまで知っている「の」の字とは違った訴えるような形に新鮮な印象を持ったのです。その日から中吊り広告を見るとその「の」の字を探すようにようになっていました。