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冊子のロゴタイプ『ようげん寺報』の場合

二人の僧侶に「合掌」される

その日、私は起き抜けで顔を洗う間もなく二人の僧侶を前にしていました。部屋はマンションとは名ばかりで、ソファーベッドと机が三人分並ぶと床は猫の額ほどしかありません。そこに座る二人の僧侶を前に私は窒息しそうでした。
客は水書坊の編集者M氏とN氏の二人。M氏が編集&発行人になったのを機に月刊『ナーム』のリニューアルを企画し、その依頼でした。私は冊子のリニューアルは引き受けることにしましたが、ロゴは変えないことを勧めました。依頼する方からする#と、すべてをガラリと一変したかったに違いないのですが、私には悪いロゴには見えなかったのです。それと、ロゴを変えなくても表紙を一新できると判断していました。M氏は私の勧めに応じてくれました。
もし、請われるままにロゴを変えていたらこの稿は「雑誌のロゴタイプ『ナーム』の場合」となっていたでしょう。

以上がM氏との出会いでした。

月刊『ナーム』は1972年7月『水声』として池上本門寺から創刊され、その後、酒井謙佑氏(後に日蓮宗大本山池上本門寺82世貫首)が1974年5月に設立した「水書坊」から月刊『ナーム』として出版されるようになった。現在、休刊中。
リニューアル後の月刊『ナーム』1993年4月号 株式会社水書坊
編集・発行人:前田利勝
表紙絵:小島寅雄 AD:島津義晴+矢野のり子
ロゴを変えなくても表紙のリニューアルは可能だと判断したことに加えて、ロゴはむやみに変えるものではないという思いがあった。

感謝の気持ちを伝える冊子

『ようげん寺報』の創刊を依頼されたのはそれから7年ほど後(1999年)のことでした。タイトルになっている「ようげんじ(源寺)」は池上の日蓮宗寺院、朗師講24ケ寺ひとつ、「長荘山 養源寺」のことです。M氏はそこの住職でもありました。

養源寺の創建は1648年で歴史は古く江戸時代の初期のことです。何度か消失の憂き目にあっています。私が最初に見た本堂は先々代(光祐上人)が1955(昭和30)年に建てたものだったそうです。
M氏は老朽化した本堂の建て替えを決意しました。こういう場合檀家、有志に勧進を募ります。いわゆる寄付です。寄付が集まる中、本堂再建中にM氏はふと思ったそうです。「この進行具合を勧進してくださった人たちに伝えなければ」と。
M氏は自分で撮った写真と文でチラシを作って配布しました。しかし、不満が残ったのでしょう。もう少し充実したものを送り届けたいと思うようになり、『ようげん寺報』の創刊を思い立ちました。

建て替えられる前の養源寺本堂。
養源寺先々代住職光佑上人が1955(昭和30)年に建てたもの。

冊子の創刊を思い立ったM氏は私にその制作を依頼することにしました。M氏には三人のお子さんがいます。依頼時に、M氏からお子さんたちに冊子づくりを手伝わせたいとの申し出がありました。寄付、応援してくださる人たちに対して家族全員で感謝の意を表したいと思われたのかも知れません。
仕事に慣れない人たちに手伝わせるのは簡単ではありませんが、M氏の思いに応えるべく引き受けることにしました。

この頃、私は会社の経営をしながら美術学校の先生でもありました。教えることは多少慣れています。しかし、この場合はそれとは違いがあります。学校で教わる生徒には「学ぼうとする意志」がありますが、三人のお子さんにあるのは「手伝う」という意志です。この時、三人のお子さんに「自分がつくる」と言う意志は無かったと思います。あったのは「つくる」ことを「手伝う」意志だったのです。
この違いを抱えながら、私は制作に取り掛かりました。

冊子のつくり方(『ようげん寺報』の場合)

「意志」に違いがあるとはいえ、本つくりを覚えてもらう必要がありました。そのために、この号は全て手づくりにしました。頭で覚えるのではなく、手作業によるケーススタディがいいと思いました。
作業の段取りは以下のようなものでした。

1.原稿の発注(または依頼)
2.原稿の整理(テキスト打ちやスキャン)
3.デザイナーへの入稿
4.デザイン(レイアウト)
5.DTP
6.校正
7.印刷(社内のプリンタ)
8,製本(自分たちで手作業)

この中で、素人でも少し努力すればできることは三人のお子さんに担当してもらいました。できないところが歯抜けみたいに点在していますが、その辺りは私と私のスタッフが行いました。号を重ねるに従って三人が学習してくれた分だけ、私や私のスタッフの仕事を減らしていきます。質を落とさない程度に、少しずつ学んでいってもらうことにしました。

※後にこの方法は私しかオペレーションできないことを知りました。発行の第1期には、途中でオペレーションをスタッフと交代したために予定した結果が得られていません。しかし第2期においてはずっと私がオペレーションしてきているので半ばを達成できたと思います。最近、父親であるM氏は「まだまだ」と言っておられましたが、少なくともスケジュールをお子さん自身で立てるということを行なっているということは、制作の「主体」が私からお子さんへ移ったという証でもあります。誰がつくるという意志を持つか、それが一番大事なことなのです。

手作りのチラシやポスターつくりはほとんどの人が経験しているか、していなくても想像はつくと思います。しかし、本(冊子)となるとそれは不可思議な領域に入ってしまうようです。恐らくページが連なるからだと思われます。
冊子とチラシやポスターとの一番の違いは「製本」されていることです。それを除けばチラシをつくるのと大きな違いはありません。なので三人には印刷と製本を担当してもらうことにしました。住職(M氏)には台割りを作成してもらいました。
冊子は配布するものなので定形の封筒に入る大きさにしました。仕上がりが200mm×200mmです。これを縦半分にして封筒に入れます。従って、A3の用紙に見開きでつくりました。
16ページが必要ということなので製本は「中綴じ」にしました。本文が縦組みの場合の中綴じの面付けは下図(上)のようになります。
印刷は会社のプリンターを使いました。両面印刷です。印刷時の組み合わせは下図(下)になります。

16ページ、中綴じ、縦組みの場合。見開きで印刷するので右ページが偶数、左が奇数ページになる。16ページの場合は隣同士のページ数を「足して17」になるように面付けをする。
『ようげん寺報』の創刊号は200mmの正方形。A3の用紙に片面2ページで印刷すると、裏表(1枚)で4ページになる。それを4枚重ねて二つ折りにすると16ページの冊子になる。

次に、印刷されたものをカットします。
この場合、一枚であればトンボをガイドにして窓を開けるようにしてカットすれば仕上がりサイズになりますが、1枚ずつカットするには枚数が多すぎます。700部を作成するので2,800枚を印刷してカットすることになります。10枚ずつカットすることにしたので、窓を開けるようなカットはできません。 慣れない人でも真っ直ぐにカットできるようにガイドを貼ったカット台を用意しました。
下の図のような順序と方法でカットします。10枚ずつで280セット。五人で行えば56回×4工程=224回(1人あたり)のカット数になります。

※後に聞いたことですが、何人かに手伝ってもらってやったけれど計算通りには進まなかったそうです。

作業が思い通りに進まなかった理由はいくつか考えられます。その中で一番大きなものは、「作業を急ぐ」あまりの「焦り」です。本つくりの作業は原稿作成、編集、デザインそして印刷製本に至るまで大量の作業量があります。例えば、ひと文字の表記を替えるだけで全ページ読み返すことになります。量が多かろうと少なかろうとやるべきことはやらねいといけません。そこが一般の人が日常で行なっているモノ作りと違っています。

仕事を完了させるには時刻(締め切り)が決められている場合とそうでない場合のふた通りがあります。
時刻が決まっているなら、そこから逆算して1日の作業量を決め、そのノルマを果たすための人数を用意します。やれないものはやれない、希望的観測を抱いたりせずにそう決めることが大事です。何とかなる、何とかすると言うのは失敗の始まりです。

仕上がりが成り行きでいい場合は自分で締め切り予定日を決めます。いつでもいいと言われて締め切りを決めないといつまでも終わりません。そしてだらしないものが出来上がります。
まず、ひとりで2時間作業を行います。そこでの作業量の2分の1を1時間の仕事量として予定を立てます。ひとりが3時間働けるのであれば、その3倍が1日の仕事量になります。そして全体の仕事量を1日の仕事量で割れば日数が出ます。日曜祭日などを避けながら予定を出します。

作業量が多ければ多いほど、まずは2日ほど様子を見る必要があります。そして、焦る気持ちを抑えて一歩一歩やるべきことをやれば思い通りの日に完成度の高いモノが仕上がります。
俗に「チャカチャカやってしまう」などはあってはいけません。「何とかなる」と言った希望的観測もありえません。不満が出るほどの未知の作業量であれば、尚更、時間をとって作業量を見える形に置き換えて作業を進める必要があります。

作業を行なってくれたお子さんたちは私の指示の通りに作業をしたそうですが、普段にない作業量を前にして戸惑ったようでした。
しかし、やりきってしまってからでないと見えない景色があります。プロの世界には一般の人では想像のつかない「まさか」ということが沢山あります。本つくりは特にそれが顕著で、随所にそれがあります。この場合の印刷、製本はもとより、編集、校正という作業などもそれに当たります。最低限「本をつくるとは、そのようなもの」と理解してくれたらと願っていました。手作業にこだわったのはそうしたことが身に染みて分かるからです。

『ようげん寺報』創刊号 1999年7月15日発行 発行所:養源寺
発行・編集:前田利勝 編集スタッフ:前田浩文 松好致加子 前田宣明 前田朗子 養源寺万灯講
デザイン:島津義晴 高橋稔 山田州彦 島津デザイン事務所
表紙イラスト:野田理恵