温故知新!アイディアのヒントが得られるかも…

シンボルマーク「墓碑」〜養源寺「合祀墓」の場合〜

葬式とお寺とお坊さん

私は十代で父、兄を続けて亡くしました。その時の葬式には、近隣はもとより遠くから泊まりがけで親戚が訪れていました。大勢の弔問客の内、女性たちは裏方に回って精進落としのお膳の手伝いもします。広間で読経が始まると、裏方で立ち働いていた大人たちは前掛けやエプロンを脱ぐと、あちこちに正座して両手を合わせていました。長い読経が終わると「いいお経だった」とか「いいお声をしてらっしゃる」といった声が聞こえてきました。その頃から、私は「お葬式」に疑問を持ち始めました。
「あんな読経で成仏できるのだろうか」と思ったのです。
不幸は続きました。恩師、親友を続けて亡くし、その度に、葬式に対する疑問が頭をもたげてきたのです。
その後、偉いお坊さんに出会い、本当の弔いを知るために在家のまま修行を始めました。

修行が進むにつれて現状の「お寺さん」の在り方や実情を裏から見ることが増えたために疑問は更に膨らみました。葬式でお経を読むだけのお坊さんや葬式を仕切るだけの葬儀屋さんもいらないと思いました。しかし、現実は葬式を必要としていました。先の妻が他界した時には、お寺さんに頼んで私の気の済むような葬式を行ってもらいました。そんなわがままなお葬式ができたのは養源寺さんのおかげでした。

合葬墓、合祀墓

一時期、電車内でお骨の置き忘れが話題になっていました。処分に困ってのことだろうと言われていて、核家族化が進む中での社会問題になっていました。最近は聞かなくなりましたがどのように解決されたのでしょうか。

50~60年前までの家族構成は、一家に3世代が一般的でしたが戦後の民主化や核家族化が急速に進行し、現在は夫婦だけの世帯や1人だけという世帯も珍しくありません。
そんな世情も手伝って最近は「〇〇家の墓」といった一般墓が少なくなったそうです。お寺さんにはそうした事情に対応していろんなお墓、供養墓が用意されるようになりました。
養源寺さんの「合祀墓(ごうしぼ)」もそのひとつです。

※【合葬墓、合祀墓 がっそうぼ、ごうしぼ】近年、「お墓を継いでくれる家族がいない」「お墓を継がせたくない。継ぎたくない」「お墓にかけるお金がない」などの理由によって自分のお墓を持たないという方が増えています。そういう方が合祀・合葬を希望されています。
合祀または合葬とは合わせて祀る、合わせて埋葬するという意味の言葉です。どちらも骨壺から焼骨を取り出し、他の人のご遺骨と一緒にする埋葬方法のことを指します。ご遺骨は長い年月をかけて土に還るかたちで地面に埋葬されます。

養源寺の現住職は、先々代、先代が立派だったということで自分も負けじと持ち前のフットワークを活かして、お寺のことはもとより地域に根ざした活動などで頑張っておられます。お寺さん本来の姿を見る思いがして頼もしい限りです。

その住職から合祀墓のシンボルマークの依頼があったのは去年の2月のことでした。ひとり暮らしの人などの不安に応えるべく合祀墓をつくることにしたそうです。

お寺さんは亡くなった人のためだけにあるのではなく、むしろ、今、生きている人のためにあり、時には前例の無いこともしなければならないと思います。合祀墓についてはすでに一般化しつつありますが、それでも習慣にないことを始めるのは大変なことだと思います。事が順調に運んでくれることを願いつつ依頼を受けました。

宇宙とか世界とか ~どのようにして知ったか~

コロナが蔓延していることもあって、依頼は電話でした。住職から「テーマは宇宙です」と聞いて、すぐにいろいろなイメージが湧いて出ました。「若い時の苦労は買ってでもせよ」と言いますが、駆け出しだった頃に、アイディアに苦しんだお陰だと思います。
すでにお寺さんの方で原案があり進めておられたとかで、スケッチや参考画像が送られてきました。もちろん、私が一任されているのですが、送られてきた資料をひとめ見て最初に浮かんだイメージが間違いないものだとわかりました。

テーマは「宇宙」それは聞き慣れた言葉だけど改めて問われると答えることが困難です。二十歳になるまで、「宇宙」は「地球の大気圏外にある惑星や恒星などがあるところ」ということくらいの認識しかありませんでした。形而上学的に言われるような「宇宙」を知ることもなく生きていました。そんな私がそれまでと違った「宇宙」と正面から向き合う日常が訪れたのは雑誌『The Meditation』を創刊したからでした。

季刊『The Meditation』1977年・秋季号 Vol.1 発行:1977年10月1日 発行所:株式会社平河出版社
編集人:三澤豊 表紙コラージュ+デザイン:横尾忠則 アートスタッフ:島津義晴&クリエティブ・デザイン OUT
修行先の師からいきなり雑誌を創刊するように言われて創った雑誌。立場はプロデューサー補+アートスタッフ、後にアートディレクター。

養源寺の宇宙を形にする 〜キーワードを探す〜

『The Meditation』には「宇宙」を語る著名人が大勢関わりました。それをきっかけにして「宇宙」や「世界」をテーマにしてビジュアルをつくるようになりました。そういうこともあり、今回、合祀墓のテーマが「宇宙」と伝えられた時には、これまで考えてきた「宇宙」のいろんな図柄が頭の中を行き交いました。

とは言え、それはそれ。アイディアは時と場所によります。昔のアイディアをそのまま使い回しはできません。機会を得た時に思いつくもの、それが採用すべきアイディアだと思います。
だから、この時、「養源寺バージョンを楽しみにしております」との住職からのメッセージは、それはとりもなおさず、今、この時の「養源寺の宇宙」の表現を期待されているということだと自覚しました。

依頼の電話の後に描いたメモ代わりのスケッチ。
中央に養源寺の寺紋である「日月燈明菩薩」を置き、遍く光を照らす。「南無」は敬意を表す挨拶のようなもの。文字をくゆらしているのは「髭(ひげ)題目」や「水」をイメージしている。この時点では「合葬墓」となっている。

ヒントは30年前、母のお墓を養源寺さんに建てた頃にありました。
お墓を建てるというのでこの日も「竿石」には何て彫ろうかと考えていました。「〇〇家の墓」とはできない理由があるのです。というのは、高校時代からの苦労を共にした親友もこのお墓に葬るからです。また、将来にそうした関係の者が葬られるように「家」のお墓にはしたくなかったのです。

養源寺さんに行くには、東急池上線池上駅を下車して池上通りへ出、本門寺参道をやり過ごして池上通りを品川方面へ少し行くと本門寺新参道交差点があります。そこを左折すると本門寺さんへ通じる新参道が真っ直ぐに伸びています。
呑川(のみがわ)に掛かる霊山橋の手前、左手に大きな碑が立っています。髭(ひげ)文字で「南無妙法蓮華経」とお題目が彫ってあり、それを見ながら橋を渡って右折し、5分ほど歩くと養源寺さんです。

その日、私はなんとなくお題目が彫ってある碑の前で立ち止まりました。そして、碑の側面に刻まれた文字を見たのです。

「一天四海皆歸妙法」

お山(本門寺)へまっすぐに伸びた新参道。
道路が盛り上がっているところに霊山橋があり、左手手前に「南無妙法蓮華経」と彫られた碑が立っている。ーPhoto by Aki
【髭題目、跳ね題目】日蓮宗で本尊として用いる「南無妙法蓮華経」の7文字のうち「法」以外の6文字の筆端を髭(ひげ)のように伸ばして書いたもの。法の光を受けて万物が真理の活動に入る姿を表したものという。ーPhoto by Aki
その日、碑の横で足が止まり「一天四海皆歸妙法」の文字が目に止まった。
あらゆるものを成仏させずにはおかぬという意思を感じた。
ーPhoto by Aki

この言葉を「この世のもの一切を成仏させる(させずにはおかない)」と読み解きました。この碑文を目にしたことで南無妙法蓮華経というお題目が理解できたように思えます。私のお墓には「皆歸妙法」と彫らせてもらうことにしました。
そのことがあってから私の中にはいつも「一天四海皆歸妙法」があります。合祀墓のシンボルを考える上でアイディアの核になりました。
「一天四海」は地理的、時間的世界であり、「妙法」は宇宙です。住職がテーマにした「宇宙」がここにあると思いました。この世界の生きとし生けるものすべては妙法(宇宙)に帰すのです。

この時よりも前、私はお寺で修行を始めました。それは父、兄、友人の供養のためでしたが、その頃に知って胸に刻んだ言葉ありました。二つ目のヒントです。

「山川草木悉有仏性・さんせんそうもくしつうぶっしょう」

「存在するすべてのものすべてに仏性が宿る」という意味です。つまり「すべての生あるものは、みな悉く悟りを得る素質を持っている」ということです。ここにも「世界」があり、それらは「宇宙」に帰す(成仏する)とあります。
ようやく私の頭の中で形而上的な「宇宙」が具体的な姿を表し始めました。