「言葉」は魔法を使うときの呪文のようなものです。ひと言で人を不幸のどん底に陥れたり、幸福の高みへと誘うことがあります。今回はそんな言葉にまつわる本つくりの話です。
こぼれ出たひと言に勇気をもらう
私の事務所が現在の場所に移ってきたのは1985年の12月。新宿の街はクリスマスソングとイルミネーションに溢れていました。カメラマンのT氏もほぼ同時期に近所に事務所を開いたようです。しかし、この時はまだお互いに知る由もありません。
T氏とは雑誌のカラー口絵の仕事で出会いました。口絵は16ページくらいのもので写真原稿はT氏が届けてくれました。
「熱いエネルギーを放っている人」というのが第一印象で、私はしばし圧倒されていました。
しかも、その彼が持ち込んだ写真原稿は使用するカット数の何倍もあり、それも4×5(シノゴ)サイズのフィルムであることに驚かされました。当時の取材写真原稿のほとんどが35mmフィルムが一般的だったからです。
依頼者の細かい指示やワガママな要求に振り回されることはよくあることです。そんな時は「もっと自由な仕事がしたい」などと思っていましたが、経験を積んでモノつくりの怖さを知り始めると具体的に指示のない自由な仕事が怖くなりました。同じように、初めて一緒に仕事をする相手に対しては距離感がつかめずに緊張したものです。
この時、私はT氏の人間としての迫力に気おくれがしていたかもしれません。
そんな状況に加えてこの時は先割(さきわり)で進行していたので、手元には写真原稿しかありませんでした。
先割はレイアウトを先に行い、文章はレイアウトに従って書くというものです。雑誌の巻頭の特集ページなどでは時間を争う場合が多いので先割で進行していました。従ってこの時のレイアウトの手がかりは写真原稿だけだったのです。
上で述べているようにT氏の持ち込んだ写真原稿は1シーンに対して1カットではなく、似たようなカットが沢山ありました。頼まれたことしか形にしないプロが多い中、T氏の意欲が嬉しくなりましたが、悩ましくもありました。使えない、使わないカットを省く作業は面倒だからです。ピントが甘かったり、テーマから視点のずれた写真であれば省くのは簡単ですが、T氏の写真はどれもがよく撮れたものだったので、不要なカットを省く作業は簡単ではなかったのです。
使用カットを選び終えるとその後の作業ははかどりました。よく撮れた(考えられた)写真原稿は見ているだけでストーリーが浮かび上がってきます。ストーリーが見えてくれば、レイアウトの構想(構成)はできたも同じです。あとは見えた通りに配置するだけでした。
仕上げたモノを提示する時に説明なしで意図が伝わることは稀なことです。図表や資料を添付して言葉巧みに説明しても伝わらない時(人)には伝わりません。そんな時は必ず余計な直しがあったり、トラブルになったりします。
ところがT氏は私のレイアウトを見るとすぐに「思った通りにできている」と言って喜んでくれたのです。その言葉でT氏との距離感が一気に縮まったような気がしました。彼の言葉は魔法の呪文でした。
コダクロームはいいよね ー飾りのない言葉には力があるー
T氏の言葉はT氏との距離を縮めてくれましたが、T氏にも記憶に残る言葉があったと聞きました。この稿を書き始めるにあたってT氏に会いに行って当時の話を確認してきたときのことです。あの時、あんなことを言った、こんな意味だったと話す内に時間はあっという間に過ぎていました。そんな会話の中でT氏は、
「コダクロームはいいよね」
と、当時、私がいった言葉が印象に残ったと語りました。すっかり忘れていましたが、そんなことをいったかも知れません。そんな背景が私にはありました。
私が写真を始めた子どもの頃に住んでいたのが小さな街だったので写真屋さんは1件しかなく、そこには「富士フィルム製」のものしか置いてありませんでした。そして、まだまだ黒白写真が主流だったので、コダックとFUJIの色やテイストの違いを認識したのはずっと後のことです。プロのデザイナーとしてプロカメラマンたちと仕事をするようになってからのことでした。
コダクロームの色はやや暖色系で解像感が素晴らしかったのです。解像感が高いと得てして硬調な写真をイメージしますが、このフィルムの非常に細かい粒状性はまるでカラーのパウダーが包み込んだような柔らかさがありました。
当時の私はデザインの仕事が忙しくて写真を撮る間も無くなっていましたが、時間ができたら近所を散策しながらコダクロームを使ってシャッターを切りたいと思っていたのです。常々抱いていたその思いが、T氏の写真原稿を見た時に、
「コダクロームはいいよね」
という言葉になって、溢れ出ていたのでした。
出会いの時の何気ない言葉によって通わせたお互いの思いが、その後の長い付き合いの原点であり、すべてだったのだと思います。以来、T氏は『卓球王国』や「BREIYLING(ブライトリング)」、「鳴門Calendar」など色々な仕事で声をかけてくれるようになりました。『オーケー! ボーイ ーエディさんからの伝言ー』(以下、『オーケー! ボーイ』)はその中のひとつです。
エディさんの声が聞こえる
ここで『オーケー! ボーイ』に寄せられたT氏の後書きを掲載させていただきます。後書きにはT氏とエディさんとの出会いや写真を撮ることになった経緯とともに、エディさんの言葉の不思議な力のことなどが語られています。
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エディさんと知り合ったのは大学2年のときだったから、今から三十数年前のことだ。友人に誘われて行ったスナック、そこがエディさんの奥さん、通称・ママの営む「21(ドンピン)」だった。そこで、トレーニングを終えてお店に顔を出すエディさんと出会った。ジョークを飛ばし合ったり、一緒に草野球をする、僕にとっては“おもしろい外人さん”だった。ただ、不思議に惹かれるところがあって、ボクシングのことはほとんど知らない僕が、いつしか人間・エディを撮りたいと思うようになっていた。
実現したのはエディさんが亡くなる2、3年前。ママからお声がかかった。「撮るなら今だよ」。エディさんが癌(がん)に冒(おか)されていることがわかったそうだ。
どこにも発表するあてもなかったが、「撮りたい」という気持ちが自分の中で大きく膨(ふく)れ上がり、通常の仕事(商品撮影など)の合間に時間を作っては、エディさんのいる大阪や白浜に足を運ぶようになった。
エディさんの偉大さを知ったのは、エディさんの死後だった。葬式に訪れた人たちの知名度の高さに驚かされた。そして間もなくスポーツ雑誌やテレビのドキュメント番組などでもエディさんのことは取り上げられ、その度、僕の写真が使われた。そして、3回忌のときにはこれらの写真を一冊にまとめた写真集に仕上げることができた。
それから15年。エディさんの、あの不思議な日本語をまとめることになった。カタコトなのに妙に説得力がある。ハートのラブで教えたエディさんの言葉は、今の若者にもきっと伝わるはずだ。’04年11月16日、エディさんの記念碑が南紀白浜に建立(こんりゅう)された。除幕式に出席するために、久しぶりに白浜の砂浜に立った。
この本の86ページにあるエディさんの後ろ姿は、僕自身が気に入っている一枚。白浜で合宿中のときに撮ったものだ。エディさんの背中を眺めていたら、エディさんの歩んできたそれまでの人生を、その背中が語っているように感じた。
「エディさん、海の向こうはハワイですね」
「ソウ、でもボクはもう帰れない…」
その後ろ姿は少し淋(さみ)しそうでもあった。
この日、そのときと同じ場所に行ってみた。風景はそのときと少しも変わっていなかった。初冬にしては暖かい陽差し、太平洋の波がゆったりと沖から浜辺に向かっていた。遥(はる)か向こうの海と空のホライゾンに目をやった。
波間からエディさんの声が何となく聞こえてくるようだった。
「オーケー! ボーイ」と…。
ー『オーケー! ボーイ ーエディさんからの伝言ー』「エディさんの声が聞こえる」より
この本の主役であるエディ・タウンゼント氏は藤猛、海老原博幸、柴田国明、ガッツ石松、友利正、井岡弘樹の6人の世界チャンピオンを育てたボクシングのトレーナーです。氏の他界後には、T氏が撮りためた写真によるエディ・タウンゼント写真集『OK! BOY』(21・ドンピン会)がつくられました。それより前、エディ氏には『ジプシー・トレーナー』(スポーツライフ社刊)という唯一の著作があります。この本は帯に「…名トレーナーの静かなる闘志<生の声>をここに収録!!」とあるように、エディ氏の「言葉集」でした。この言葉集から集めた言葉とT氏の写真を併せてつくったのが『オーケー! ボーイ』です。
T氏の脳裏にはいつもボクサーたちの心を奮い立たせたエディ氏の「魔法の言葉」があったと思われます。
関西での仕事帰りに、T氏が伊丹空港のサテライトで見かけた本がありました。彼はその本のこじんまりとしたサイズがエディさんの「言葉」を伝えるには似合っていると思ったといいます。彼はすぐに、エディさんの言葉と写真を併せた本をつくることにしました。女性が持つような小さなバッグに入れて持ち歩けるのがいいといっていました。しかも、価格は税込みの1000円にして支払いを簡単にしました。このあたりに、プロデューサーとしてのT氏を見る思いがしました。ー試行錯誤編へつづくー
本のデザイン 〜ボクシングトレーナー、エディさんの声を描いてみた 【試行錯誤編】〜はこちらから
ー【試行錯誤編】目次ー
私の事情 ー「他所(よそ)行きの文字」と「普段着の文字」ー
捨てる勇気
道具が育てる
見本通りにつくるのは楽だけれど…
言葉(念い)を文字にするということ
声を形にする ーダーマトグラフに決めたわけー
蘇ったあの時の言葉に励まされた