デザインするには論理的に考える力と計画性が必要
本をデザイン(装幀)すると言うと「絵を描く」と同義的に解釈されがちですが、少し違います。
Wikipediaは「デザイン(英語: design)とは、審美性を根源にもつ計画的行為の全般を指すものである。意匠。設計。創意工夫。英語のdesignには本項の意味より幅広く、日本語ではデザインと呼ばない設計全般を含む。」と定義しています。この中に「本来設計する事も含む」とあります。これは、デザインは直感的に、感覚的にビジュアルを創り出すということとは違い、それに加えて設計(計画)することが含まれるということです。
美術学校には絵が好きで入ってくる生徒が沢山います。しかし、その大多数が絵画科ではなくデザイン科を専攻しているのではないでしょうか。これは「絵画科」よりも「デザイン科」で学んだ方が就職に役に立つと判断しているからだろうと思います。しかし、そうした生徒たちは「理詰めで考える」ことが苦手な場合が多く、現場でデザインを担当して苦労するケースを見てきました。美術学校の「絵画科」と「デザイン科」は文系と理系ほどではないにしても、そのような違いがあります。一般の人たちにもそのあたりに誤解があるのではないでしょうか。
繰り返しますが、デザインは直感的に絵が描ければできるというものではありません。少しの絵心と「計算力、計画性、構成力」など論理的に考える力を必要とします。
宗教、人文科学などの書籍のデザイン
装幀の仕事は、まず原稿を読むことです。読むと自ずからイメージが湧いて出てきます。「詩」や「小説」などは著者が文によってそのイメージを提供してくれるのだから手がかりが沢山あります。しかし人文科学、社会科学、宗教などのジャンルの場合、原稿を読もうと努力しても読めなかったり、意味も分からなかったりします。具体的にイメージするのがとても困難な分野です。私は、この分野の書籍を担当することが多く、毎回のように頭を悩まし続けることになりました。
『解説 般若心経』を装幀する 〜デザインする部位〜
本をデザインすると言っても「ブックデザイン」と「装幀」では視点が違います。「ブックデザイン」は書籍の内容から本文の組み体裁や写真、図版などの構成、書籍の外側までをコーディネートします。人に例えれば人格形成からファッションまでということになります。「装幀」は本文に寄り添い、その装いのみをデザインします。
この時依頼された『解説 般若心経』の装幀でデザインする部位は、
ジャケット、カバー、見返し、扉(総扉、飾り扉)、帯
です。
「見返し」は通常、用紙の紙質と色を選ぶくらいで、絵や模様など(印刷するようなこと)は省きますが、児童書やグラフィックにこだわる書籍などは工夫を凝らして楽しいものに仕上げています。
この時は私にイメージが湧いて出たので、いつもなら用紙の選定だけを行うところを無理を言って見返しの印刷を了解してもらいました。
『般若心経』とは? 〜理解からイメージが広がる〜
イメージを持つためにも、アイディアを出すにも原稿を読む必要があります。しかし、それが経典の解説ではイメージを持つのに何年かかるか分かりません。必然、編集者との打ち合わせが大切になります。この時、私とOくんがどのような話をしたのか記憶にありませんが、『解説 般若心経』は「理」が解かれているという意味で学術書だということは分かりました。その後、この本のテーマも意味も少しは分かりましたがやはり難しく、救いは『般若心経』が有名なお経であるということでした。
『般若心経』は西遊記の三蔵法師のモデルになっている玄奘三蔵の訳したものが有名です。日本の飛鳥時代頃のことでした。日本では聖徳太子が派遣した遣唐使が持ち帰った『般若心経』が一番古いとされていますが異論があるようです。デザイナーの私としてはその真偽よりも奈良時代に日本に入ってきた、今でも最もポピュラーな「お経」であることを理解したことで良しとしました。
その内容は「色即是空」「空即是色」に集約されていると思います。「在るように見えて、実は無い」「無いようであるけれどそれは在る」。そんな感じでしょうか。意味は分かったようで分からない、一般人の私にはそんな曖昧な理解しかできませんでした。
しかし、理解できなくても理解しようと試みたことが手がかりになり全体のイメージが湧いてきました。言葉にすると「玉虫厨子(たまむしのずし)」や「エンタシス」、建築部品である雲斗(くもと・うんと)」「雲形肘木(くもがたひじき)」などです。それらは遠い昔、雲の上にある風景、等々のイメージです。これが形にするアイディアのひとつになりました。
私はこの仕事を手がける以前にアメリカ西海岸の仏教系アシュラムを取材したことがあります。中でも禅宗の道場では多くの修行僧がお経を唱えている場面に行き合わせました。その時のお経が『般若心経』でした。
最初は音楽と思えるような「響(ひびき)」が耳に入ってきました。そしてそのうち、言葉がわかるようになり、それが『般若心経』だと知りました。その時の経験がこの装幀のふたつ目のアイディアのヒントになりました。
私はアシュラムから聞こえてきた音楽のような『般若心経』の「響き」を形にすることにしました。
「響き」を形にする
「遠い昔、雲の上にあった風景、等々のイメージ」は奈良、平安時代の図版などの資料から使用することにしました。しかし、もうひとつのアイディアは「響き」をテーマにすると決めたものの形が見えてきませんでした。例えば「塩」や「しょっぱい」をテーマにした時、どんな形で表すか。「好き」はどんな形になるのか等々。デザインはこういう時に難しいと思います。
昔、『舟を編む』という映画がありました。その中で馬締(まじめ)光也(松田龍平)が荒木公平(小林薫)から「右」の意味を説明するように問われるシーンがありました。この時、形にないものを言葉で表す難しさを知りました。それは「響き」を形にする難しさと重なりました。
ちなみに馬締光也は「西を向いた時の北にあたる方角」と答えています。ただでさえ抽象概念は伝えるのが難しいのに加えて、視覚と聴覚の重複障害者ヘレンケラーとのコミュニケーションは大変だったろうと思います。家庭教師のアン・サリヴァン女史の知恵には驚くばかりです。
アイディアはいつも唐突に出るものではありません。考え考え考えあぐねて、疲れ果ててもなお出てこないときは出てきません。そして帰りの電車でも考えます。そんな生活が何日か経つ頃、締め切りが気になり始めます。しかし、そこで締め切りに囚われ始めると何も浮かんでこなくなります。気分転換を試み、また考えます。ここまで来るともう、自分の精神状態との闘いになります。
この頃の私は「打ち合わせ」でアイディアが出るような境地にも至っていないし、修羅場を潜った経験もありません。仕事の度に毎回、アイディアを出すのに苦労していました。
「響き」をどんな形にするか? 焦る気持ちをようやく抑えながら考える日が幾日か過ぎていました。
その日も私は机に向かっても何のアイディアも出ずに、回転椅子に座ってクルクル回って時間を過ごしていました。
私から2~3mm離れた所にメッシュのゴミ箱が置いてありました。半径25cm、高さ40cmくらいの円筒形のもので側面がメッシュになっていました。
机の上の紙くずを丸めては椅子をくるりと回して、ゴミ箱めがけてポイっと投げ入れます。やりだすと、これが結構面白いのです。紙くずが無くなってしまいました。それでも椅子を回していました。何も考えていなかったのでしょう。その時、目に入ったものがありました。
「モアレ」
でした。
ゴミ箱の側面に「モアレ」が現れていたのです。
※【モアレ】 網点などの規則正しい模様が重なった時に、並び間隔の差によって発生する縞模様のことです。 モワレ(moiré)というフランス語が語源です。
次回の投稿は、「本のデザイン『解説 般若心経』の装幀 〜「響き」をつくる〜 」を予定しています。