温故知新!アイディアのヒントが得られるかも…

雑誌のロゴタイプ『S-Fマガジン』の場合

友人の勤める会社

アルバイトで知り合ったKくんは念願の早川書房に入社して『S-Fマガジン』編集部で働くようになりました。そのKくんが私にくれた最初の仕事は『S-Fマガジン』編集後記のページのカットでした。パラボラアンテナを丸ペンで描いています。その頃のことです。Kくんから、
「会社に来ないか」
と誘われました。

板張りの床

上京して6年が経ってはいましたが神田は馴染みのない街でした。どこで待ち合わせたのか、どこを通って会社にたどり着いたのかは記憶にありません。ですが、社屋が板張なのが意外だったのは憶えています。
これより少し後に神田で仕事をするようになりました。当時の神田界隈は木造の建物が多くて、その中で小さな会社が肩を寄せ合うようにして営業していました。床はほとんどが土間か板張りでしたが、早川書房の1階がどうだったのかは記憶にありません。2階に上がると一面が板張りで、部屋の一角に『S-Fマガジン』編集部がありました。Kくんのデスクの背面には作り付けらしき木枠の本棚があったりして、その様子は書斎のような、学校の教室のような独特の雰囲気がありました。

それから少し後の事になりますが、Kくんは『S-Fマガジン』本文の挿絵を描かせてくれました。最初は挿絵家A氏の産休のための代理で2度ほど。さらに一度描かせてもらいました。
そのどれが目に留まったのか他誌からのオファーがあり、次いで大手車メーカーの機関紙で描くようになりました。Kくんも周りも、いつの間にか私を絵描き(イラストレーター)志望と勘違いするようになっていました。

周りの評価(応援)とは裏腹に、私は『S-Fマガジン』のページをめくるたびに、他の挿絵家の挿絵と自分の絵を比べ、自分の力のなさを恥ずかしく思うようになりました。
『S-Fマガジン』や『ミステリマガジン』に登用されている作家氏の作品はどれをとっても洗練されていて素晴らしいものでした。そんな思いをどのように伝えたかは憶えていませんが、Kくんからの挿絵の仕事はその頃を境に無くなっています。
『S-Fマガジン』の表紙やロゴはそんな思い出と共に大切なものになっていました。

『S-Fマガジン』1983年5月号表紙 早川書房
表紙(イラスト):加藤直之
デザイナーの表記は無いので社内の制作部でレイアウト、版下を行ったと思われる。
まぶしかった『S-Fマガジン』のロゴ

前例とか、実績とか

『S-Fマガジン』のデザインを依頼されたのは、『ミステリマガジン』のリニューアルを終えて3年ほどが過ぎた頃のことでした。光栄と思う気持ちと憧れた雑誌の表紙やロゴを自分が変えていいものかどうかという気持ちが交錯していました。

申し訳ないことですが、依頼時の模様は記憶にありません。と言うのは当時の編集長はI氏でしたが、その頃の彼はとても忙しいらしくて会ったのは二度ほどでした。その時に、印象に残るような依頼の言葉はありませんでした。実務では編集部のIKくんが担当してくれました。彼からも指示や要求らしきものはありませんでした。
依頼時の記憶が薄いのは「障害」らしいことが無かったからだと思います。それは、友人のKくんが言った「SF」は自由だよと言うことも含めて、この時はすでに『ミステリマガジン』などの実績があったからだと思います。

社会において新しいことはなかなか受け容れてもらえません。新しいデザイナーの登用もしかり、創り出すという行為においても目新しい案は簡単に採用されることはありません。
クライアント(出版社など)は商品に大金を投じています。何の根拠もなく採用できないのは当然です。

一方、作り手側から見ると、有能なデザイナーでも最初は新人です。実績も経験も無くてあたりまえで、機会を与えてもらってそれは目に見えるものになります。また誰もが求める新しいものやオリジナリティには前例も根拠も無いのです。どこにもないものだから価値があります。そこに作り手と受け容れ側双方にジレンマがあります。
そうした場合、受け容れ側は賭けに出るか、実績のある人材に任せるかの二者択一になります。そして、企業のほとんどが後者を選んでいます。

当時の私は装丁やブックデザインを始めたばかりで目立った仕事はしていません。Kくんが早川書房を辞めてP社に勤めるようになり、頻繁に私と一緒に仕事をするようになっていました。そこで担当した『海洋冒険小説シリーズ』(1期、2期併せて全20巻)が好評で少し目立っていたかもしれません。この頃になって、私はKくんに挿絵家ではなくデザイナーとして認めてもらえたようです。
目立った実績のない私が『ミステリマガジン』で登用されたのはKくんの推薦とS氏の決断だったと思いますが、その辺りの事情は二人が他界している今、知るすべもありません。

海洋冒険小説シリーズ01 眼下の敵 
著者:D・A・レイナー 訳者:宮田洋介
発行者(編集発行):株式会社パシフィカ 発売:株式会社プレジデント社
装幀:島津義晴 イラスト:生頼(賴)範義
この当時、生頼氏は宮崎に住んでおられて、Kくんは度々出向いていた。打ち合わせでジャケットのイラストスペースが縦長になっていることで頭を悩ませていたと聞いた。

リニューアルのテーマ

『S-Fマガジン』のリニューアルは創刊300号を記念して行われました。いつのも3倍ほどの厚さの特別号でした。簡単に3倍と言うけれど編集の人たちの大変さは数値では表せないくらいに大変だったようです。それは特大号の編集後記につくり終えた達成感や喜びとともに綴られています。
既に述べましたが、依頼時のことはIKくんの一所懸命さの他には記憶にありません。それは問題なく私の提案がそのまま受け容れられたということでもあります。
私がリニューアルのテーマにした主なものは以下の通りです。

1.「セリフ」のあるタイプから「サンセリフ」にする。
2,スピード感を出す
3.文字に関するこだわり

『Star Wars』のロゴ。今、ポスターを見返すと少しずつ変化していた。
まだデーターで保存する時代ではなかったので一作、一作、描いていたのかもしれない。
上の見本は公式サイトのもの。

『Star Wars』の第1作が劇場公開されたのは1977年のことでした。私は丁度その頃にロサンジェルスに取材に出向いていて、UCLA付近の映画館に行列ができているのを目の当たりにしました。そして1980年『帝国の逆襲』で生賴範義(おおらいのりよし)氏のイラストでポスターが作られました。
私が映画を観たのはずっと後の事でしたがポスターで見たロゴは私に強いインパクトを与えました。『Star Wars』のタイトルはサンセリフで描かれていたからです。それまでの私にとってSFを代表するイメージは『S-Fマガジン』で、それはセリフのついた「S」と「F」でした。

デザイナーに限らず、モノをつくっている人たちのジレンマは「影響される」ことです。モノづくりの初めは、
「見て覚えろ」「真似から始めろ」
と言われます。当然、美術館へ出向いたり作品集を見たりします。そこで好きな作品や作家と出会うと、それを真似したくなります。それが習作の段階なら問題ありませんが、仕事となると盗作問題になります。だから、クリエイターは影響された作家や作品の影響が自分の仕事の表にでないように脳裏に秘めながら現実のテーマと向き合うことになるのです。似ているとか真似ていると言われることは、少なくとも私の場合は最も恥ずべきことなのです。

モノをつくる時、無意識だとどうしても影響の痕跡がある時はそのまま、ある時は香りとして現れます。だから、よほど影響されたと思った場合は意図的にそれらが現れないような工夫が必要となります。

『S-Fマガジン』のリニューアル時には前のロゴと違えるために「セリフ」付のものではなく「サンセリフ」にしようと決めました。そこに『Star Wars』の影響があったことは否めません。その場合、影響された『Star Wars』のロゴを真似たと言われないようにオリジナリティが必要となります。考えた末にたどり着いたのが「S」の上辺は通常の「S」のように円形を保ちながらボトムを漢字で言う「2画」目を直線にすることでした。ちなみに欧字で「S」は1画です。

速さを表すなら横組、斜体。直線と曲線はスムースにつなぐ

ひと口にSFと言っても色々なジャンルがありますが、私が抱いていたイメージはどうしてもスペースオペラで活劇が最初に出てきます。そして、そこには地上とは違ったスピードが存在します。その「速さ」を表すためには横組の平体が望ましいのですが、それを採用すると『Star Wars』に似てきます。だから敢えて速さのイメージを打ち消すというリスクをかかえながら長体で斜体にすることにしました。従って、速さが鈍った分を補うために何らかの工夫が必要になります。それが「打ち込み」と「止め」を斜めに切ることでした。そうすることで棒立ちにはならずにSとFにスピード感が付いてきます。

第3のテーマは「文字」そのものの形に関わることです。今回考えたロゴにはすべてに「R」が付いています。ここで言う「R」とは「角の丸み」のことを言います。
昔から見出しやコラム欄にラウンドとか角丸が使われています。今は Illustratorという優れものがあるので、あまり深刻に考えずにデザインできますが、昔は全てがコンパスと烏口による手描きだったので時間に余裕がないと使えないアイテムでした。

※【Illustratorで角丸を描く】Illustrator 場合、「効果」メニューの「角を丸くする…」で半径を指定する方法と、コーナーウィジェットを表示して、角付近にある丸いマークをドラッグ&ドロップしたり、変形パネルの角丸の半径やコントロールパネルのコーナーの半径を指定する「ライブコーナー」という二つの方法がある。いずれにしても、アナログ時代で「角丸」に費やした時間の数分の1くらいの時間できれいな角丸が仕上がる。

Illustratorで言う「角丸長方形」の上半分。アナログ時代にはスプリングコンパスを使って円弧を、直定規で直線を烏口で描いて繋いだ。
この場合、コンパスの線幅と直線の線幅を揃えるのが難しい。もちろん上下にズレないように描くのも経験がものを言う。
左;英式の烏口。10mm幅に10本の極細線が引けるすぐれもの。右;スプリングコンパス。これで半径1mmの円を描いた。
ちなみに、スプリングコンパスは頭を人差し指で支えて、中指と親指でくるりと回して円を描く。小学校の授業で使ったコンパスのように人差し指と親指でくるりと回すようなことはしない。烏口の刃と用紙の角度(90°)を一定に保つためである。

円弧と直線をつないで角丸の帯や囲みをつくり、見出しやコラムの背景にするのは手間暇はかかるけれど、それらは脇役なのでそれほど神経質になることではありませんでした。問題は「文字」の場合です。
下の図は四角形を角丸にしたものです。円弧と直線で結んだ辺り(赤矢印)が盛り上がって見えます。または直線の部分が凹んで見えます。それは「錯覚」なのでしょうね。見出しの帯やコラムの背景の場合にはあまり気にならないのですが、ロゴタイプでRを使った部分にそんな表情が数多く出ると文字の造形そのものの印象に悪い影響が出ます。なので現場では円弧と直線が接する点の手前で止めて、雲型定規やガラス棒などを使って描き足していました。例えれば「いかり肩」を「なで肩」に見えるようにひと手間かけていたのです。

左:スプリングコンパスで描いた円弧と直線をそのままつないだもの。中;赤がスプリングコンパス。黒が烏口の直線。つなぐ手前で止める。右:雲型定規とロットリング、またはガラス棒と丸ペンなどを使って円弧と直線をつないだもの。イメージ図。

『S-Fマガジン』のタイトルのすべての文字にRがあり直線と接しています。それは繰り返しの効果で処理の仕方ひとつで良くも悪くも文字の形に影響を及ぼすのです。そして、それは縮小すればするほど目立ってきます。このロゴの生命線でもあります。制作時に一番気を使うところでした。

制作の手順は『ミステリマガジン』の時と同様ですが、こちらは『ミステリマガジン』の時のように他人に任せることはなかったので時間も十分にあり、下書きをトレースした後に塗工紙にトレースダウンして、烏口とスプリングコンパスの組み合わせで描きました。つなぎには雲型定規+ロットリングを使っています。

『S-Fマガジン』1983年6月号 創刊300号記念特大号 早川書房
表紙構成:島津義晴+大久保友博 表紙イラスト:加藤直之
クレジットでは表紙デザインではなく、表紙構成となっている。当時、出版界では、クレジットに
デザインと表記することが一般化していなかった。
『S-Fマガジン』1983年7月号 早川書房
表紙構成:島津義晴+大久保友博 表紙イラストレーション:鶴田一郎
この月からイラストレーターが代わった。テーマは「感情を持ったロボット」。

『S-Fマガジン』のリニューアルで私が一番気を使った「R」と直線のつなぎですが、今やIllustrator というすぐれものが存在する以上、いかり肩を気に止める人は無いかもしれません。それは、こうやれば描けますというマニュアルがあるので、出来上がったものを疑わないからです。その点、アナログは描き上がっても「これでいいだろうか」と疑いの目で見るのが習慣になっています。なので手作業で描くと「いかり肩」に気づくことになります。

また、デジタルで描いた「角丸」の「いかり肩」が気になってもそれを「なで肩」にするにはアナログ時代のそれよりもずっと時間がかかるでしょうから、あえて自分から面倒を引き受けるようなことは無いでしょう。
今更、アナログに戻って欲しいとは思いませんが、この上は、Illustrator などの描画アプリで、そのような錯覚を引き起こさないために補正カーブを用意してくれることを願っています。

次回投稿は12月初旬です。