温故知新!アイディアのヒントが得られるかも…

本のデザイン『解説 般若心経』の装幀
〜「響き」をつくる〜

アイディアを展開する

アイディアは儚(はかな)いものです。すぐに形にしてあげなければ瞬時にその正体を消してしまいます。また、形にしても装幀には不似合いなものだったりします。だから、サプトンで出力されたボーダーと手描きの同心円で、イメージしたモアレが思ったように現れた時には喜びと同時に全身から力が抜けてしまいました。そして、更にボーダーを手描きにしたことで完成度は高まったと言えます。

さて、デザイン(装幀)のメインビジュアルは高い完成度で仕上がりました。私たちの仕事はアイディアが3割、あとの7割はその使い方(作業)です。そしてその7割は「質」に関わってきます。アイディアが出て、形が見えてくると、ともすればそのままの勢いで作業を進めてしまいがちですがそのようにしてできたものは、後々、後悔がつきまとうことになります。そんな後悔を何度も味わってきました。だから、この時、使い方を考えるための「間」をとろうと思いました。

私の子ども時代はまだ戦争の傷跡があちこちに残っていて、物資もようやく流通し出した頃でした。駄菓子屋は子どもが集まる場所になっていて、そこにはいろんなくじ引きがあり、当たりハズレを囃し立てていました。
その時代、森永や明治の箱入りのキャラメルは高価なものでした。キャラメルを食べ終えてもその空箱はすぐには捨てきれずにポケットにしまったままでした。翌日、空箱を取り出して分解しました。すると「のりしろ」辺りに小さな文字が印刷してあるのを発見し、私はドキドキしていました。母にそれを差し出して、「これ、当たり?」と聞いていました。

そんな他愛もない出来事ですが、想像もしないところに想像できない数字が並んでいることで一瞬、期待に胸を轟かせました。それは当たりでもハズレでもありませんが、私を楽しませてくれました。モノをつくる時、その思いをずっと持ち続けています。
そんな驚きと喜びを読者が味わってくれたらという思いが私のデザインの原点になっています。

デザインで「驚き」や「喜び」「楽しさ」「感動」などを演出するのはアイディアが第一です。そして、アイディアをどう見せるかも有効な手段です。それは「デザイン」の醍醐味でもあります。ここで言う「展開」とはそうしたことを目的にした作業です。

ここまで出たアイディアは二つあります。ひとつは「奈良、平安朝」を彷彿させる図柄などを使用すること。もうひとつが「モアレ」です。アイディアの展開とはアイディアを書籍のどの部位にどのアイディアを使うかとか、どのように使うかなどのことです。
ここまで考えた二つのアイディアをデザインする部位に効果的に展開します。

ここで改めて、この本のデザインをする部位を確認します。

装幀する部位はジャケット、カバー、見返し、総扉、帯です。

アイディアはモアレをメインビジョアルに使い、図版などをサブビジョアルにして展開します。通常であれば見返しは用紙選びだけなのでここではアイディアを必要としません。通常、私が行なっているアイディアの展開は以下のようなものです。
ジャケット:アイディアA
カバー:アイディアB
総扉:アイディアA+B
帯:アイディアC(アイディアというよりレイアウトの雰囲気など)
もちろん、展開の仕方に正解はありません。読者が喜びそうな仕掛けをそこここに施します。またアイディアや書籍の内容でも展開のさせ方は大きく違ってきます。

ジャケットでアイディアAを中心にデザインし、カバーはアイディアBでまとめる。総扉はAとBを併せたデザインにする。
読者がジャケットをめくった時に目に入るのはジャケットの折り返しと見返し。通常、この時にジャケットをはがしてカバーを見ることは少ない。だから見返しの次に目にするのは総扉になる。
総扉にはジャケットのアイディアとカバーのアイディアがコラボされていてカバーのアイディアBを暗示する。

部位の展開を考える時、私は、読者が書店でどのような状況でその本と出会うのか。本は平積みにしてあるのか? 棚差しなのか? そしてそれを手に取ったらどのような順序で視線を巡らせるか等々、を考えます。
平積みにしてあった場合は帯やジャケットに目が止まり、それをめくると見返しが現れ、次に総扉に目が行くことを期待しながら仕掛けます。棚差しになっていたら「背」の見せ方が勝負です。スペースは狭いけれど「背」のデザインは重要です。

アイディアの展開はつくり手の仕掛け

読者が書店で書籍を手にした時に最初に目に入るのがジャケットと帯です。だから版元やデザイナーはこの部位のデザインに力を注ぎます。「タイトルは目立つように」「帯にはインパクトがあるキャッチを」という風に。

次に見返しの左ページ(縦組みの本の場合)とジャケットの折り返しが目に入り、次に扉(総扉)→本文扉→本文(読み慣れた人はジャケットから目次へ)のように視点が移動していきます。この時、わざわざジャケットをめくってカバーを見る人は少ないでしょう。そのために「扉」にカバーで使用したアイディア「B」の要素を入れて、他にも楽しむ場所があることを暗示します。もちろん気づかない人は気づかないままに本を閉じてしまいますが、それが仕掛け人(デザイナー)の楽しみのひとつでもあります。

本の装幀を考える時、その本が本屋さんで平積み、または棚差しになっている様子をイメージし、読者の手に渡って書棚に収められる所までを思い描いてつくります。それは書籍の在る場所にどのように「在る」のかを考えてデザインするということです。
そうすることによって書棚に収められる場合の「背」、机の上に平積みにされる場合の「裏表紙」などのデザインに違いが出ます。その場合「背」のデザインは「存在」を表す意味でとても重要になってきます。平積みの場合の「表表紙」はいいとして、裏側が表にして置かれたときに本はどんな表情をしていればいいのかなどをイメージするのはアイディアを考える上でとても重要なことです。

『解説 般若心経』の場合、帯は見返しのアイディアBで考えた古典籍を彷彿させる和綴じ本の罫線(アイディアB’)を利用した。
総扉ではジャケットとは違った、どちらかというとカバーのイメージに近いモアレで変化を図った。
仕上がった『解説 般若心経』

後書き

最近のウェブには驚かされる。illustratorを使って同心円を描きたいと検索すれば瞬時に「illustratorで同心円を描く」といったウェブがズラリと表示される。
PCの検索能力もさることながら、手作業で1日かかって描いていたものが数分で仕上がるIllustratorの機能には感心させられる。手先が器用だともてはやされて育った私は天国から地獄を見ることになった。

一方、そうした便利が当たり前で学び始めた、デザイナーを志望する若者や現場のスタッフは、用意されたテンプレやアプリの機能の使い回しでその場をしのいでいる。それはコンビニに用意された惣菜モノを食卓に並べたようなものと同じに思える。そのような食卓を前に疑問を持たなくなったら堕落は地滑りを起こす。心したい。

しかし、手作業ができなければいいデザイナーにはなれないと言うのもおかしな理屈である。むしろ、便利は「いい事」なのだ。

私の妻は左手が利かなかった。彼女のセンスは羨むばかりのものだった。そんな彼女がいい仕事ができるようにとMacを買い与えたが、実用以前の代物だった。30数年前の話である。時期が早すぎた。今、彼女が生きていればきっといい仕事をしたに違いないと思う。そんな妻のような人にとってPCの便利はまさに宝である。
だからジレンマがある。便利をどのようにして活かすかということである。自分を省みて心当たりがひとつある。
それは、「思い」である。
創る動機に「思い」があるか? それがPC(技術)を活かしもし、堕落の道へ導くことにもなる。

長くなったけれど、今回、40年前に手作業で行った「イメージを形にする」ことを伝えるのに、その「便利」をありがたく思った。
使い道さえ誤らなければ「便利」とは重宝なものだ。