温故知新!アイディアのヒントが得られるかも…

シンボルマーク「墓碑」〜養源寺「合祀墓」の場合〜

養源寺の宇宙を形にする 〜描く〜

ここまでは「宇宙」という漠然としたイメージから言葉(キーワード)を探しました。見つかったのは、「一天四海皆歸妙法」と「山川草木悉有仏性」でした。
「一天四海皆歸妙法」からは、天地左右、上下、形而上的宇宙と天体などがあり、「山川草木悉有仏性」からは木々や生けるものなどが成仏するイメージできました。
キャンバスになるべき与えられた石の面は四角です。方位を表すために良い形だと思いました。その中に星、惑星、植物(花)、鳥を配置することにしました。
中央には「日月(日月燈明如来)」を置きます。

養源寺さんは「日月燈明如来(にちげつとうみょうにょらい)」を寺紋にされています。この中央の「日月」は「陰」と「陽」でもあり、これも世界=宇宙を表しています。お寺からの祈念が四方八方、生きとし生けるもの、さらには亡くなった人たちへ遍く祈念を及ぼすことを表すものとして「光芒」を放つ、そんなドラマ(情景)をイメージしました。

その上で、池上が梅で有名であること。梅といえば鶯を連想することなどから、生きとし生けるものの象徴として「梅」と「鶯」を配置することにしました。

養源寺さんが寺紋にされているシンボルマークは
日月燈明如来を表す。

今回はアイディアを活かすために相当な時間を費やしました。どんなにいい思いつきでも依頼主に伝わらなければ採用されません。今回のキャンバスは石です。紙の上の図案とは見え方が異次元だからです。まずは「彫る」ことを前提として紙面に図案を描きました。
以下、グラフィック作成のためのメモです。

「南無」は必要だと思ったのでここにあるものだけではなく、いろいろな「南無」を書いてきたけれど、図柄との関係で、最終的にはフォントを使用した。
2018年春先に、池上本門寺の前の貫首であった酒井氏の100歳を記念して冊子をつくることになり、打ち合わせのために朗子会館に出かけた。ミーティングを行う部屋に「水のこころ」という詩がかかっていて、「水のようにいきいきと」「水のように力づよく」「水のようにこだわらず」「南無妙法蓮華経」とあった。その「水」が大切なのだと思った。紙面中央の波線は水を表している。
「日月」を中心にして宇宙空間に水が流れたり星があったり。思いつくままにスケッチした。
左手の2段目のスケッチにあるような図柄を思いついたあたりでようやくイメージの彷徨の終わりを感じていた。
右手のメモはプレゼンでの見せ方をPhotshopの「ベベルとエンボス」にしようと方法を考えていた痕跡。

イメージが定まったら図面作成に取り掛かります。図面が仕上がったら依頼者に見てもらうために擬似立体にします。その時、Photshopを使うのでアプリの相性を考えると図面作成は Illustrator を使用することになります。

「日月燈明如来」が輝くさまの第一段階。
如来の輝きが万物に及ぼす光明。
光明の強弱をつけるためにつくったマスク。この黒い部分は光が二重になり強まる。
四隅に「星」「惑星」「梅」「鶯」を配して万物を表す。
図面の出来上がり。

プレゼンは仕上がりを見せるのが一番

紙の上の図案はできました。しかし、頭の中にある「石に彫った図柄」はこういうものではありません。似ても似つかぬものなのです。

依頼されたものである以上、依頼主の同意を得なければなりません。依頼主がこの図面からどれだけイメージを深めてくれるか疑問があります。過去、そのためにデザインが不採用になった例は数多くありました。それは受けての能力に左右されてしまうのです。だから見本出し(プレゼン)は面倒でも仕上がりをイメージしやすいもの、できれば石に彫って見せるなどして行うべきだと思います。
とはいえ、石は高価だし手間賃も安くはありません。時間もかかります。今回は Photshopの「ベベルとエンボス」 を使って擬似3次元にすることにしました。

擬似3次元にするには石の画像が必要です。この時、まだ石は決まっていません。住職が探してくれている段階でした。
私は新宿御苑前から四谷間をウォーキングするのを習慣にしています。片道2km 。いろんな建物があります。壁面を撮影して回ることにしました。
撮影していて感じたことはビルの色は暗い。または無彩色でした。欲しいのは暖かく感じる明るいものなのです。最悪はネットにアップされている画像を使うつもりでしたが、撮影三日目になんとか使えそうな壁面を見つけて撮影しました。
プレゼンは2種類提出したのですが、ここでは採用されたものだけを掲載します。

形状が分かりやすいように粘土風にした。
街で撮影してきた壁面の画像に置き換えてみた。

その後、住職が動いてくれて明るい石を探し当ててくれました。とても暖かいイメージの碑ができたと思います。

仕上がりは当初のイメージとは凹凸が逆になっています。ーPhoto by Nobu
沢山の人の不安を飲み込んで成仏させてくれることを祈っています。ーPhoto by Nobu

【後記】
私は20歳代の頃から、死を前提として今日を考えるようになっていた。若い頃から身近な人の死と向き合って来たからかもしれない。その後、終の住処(ついのすみか)という言葉を知った。「生涯を終えるまで生活するための住居」という意味だが、今の生き方の延長線上に死が訪れるのだから、ことさら住居を変える必要性を感じない。しかし、お墓は考えねばならない。残された者が私の葬り方に困らないように。
幸い、私の親は明治の生まれで、家を大事にしてきた人たちだからお墓を残してくれた。私には終の住処(ついのすみか)は無いけれど、その先の住処はある。私は幸せ者である。