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雑誌のロゴタイプ 『出版ニュース』の場合[前]

1970年〜80年代の本つくり

出版ニュース社のK氏から『出版ニュース』のリニューアルを依頼されたのは1990年頃のことでした。
当時はバブル期でもあり、企業のロゴマークやロゴタイプのリニューアルが盛んに行われていましたが、『出版ニュース』のリニューアルはそうしたブームとは関係が無く、確か社長の交代時がきっかけだったと記憶しています。
それまでの『出版ニュース』の表紙や『出版年鑑』の装丁は著名なデザイナーやアーティストによるものでしたが、この時、ほとんど無名の私に話が持ち込まれたのには、K氏と私の双方にそれなりの理由がありました。

当時の本つくりは「見た目(表紙など)」をデザイナーが担当し、「帯」や「本文」などのように文字が中心になる部分は編集者がデザインやレイアウトを行っていました。
写真やイラストを多用する本では、見出しや本文をデザインする「レイアウトマン」と称するプロが存在していましたが、1980年代の時点で、一冊の本をデザイナーの視点で作る「ブックデザイン」という概念は一部でしか認識されていなくて、それを専門の職業にしている人はわずかでした。
従って、私が携わった出版関係の仕事も見た目を中心としたカバーデザインや装丁(装幀とも)が主で、本文や帯などは出版社の制作部か担当編集者によってデザインされていました。
「絵(絵柄)=デザイナー」、「文字(文章)=編集者」という役割分担で本つくりが行われていたのです。

1970年〜80年代までの出版物はそのような役割分担で制作されていたので、本文の組み体裁が窮屈だったり、見出しに工夫が無かったりしていて、読みやすく美しい誌面とはいい難いものでした。最も違和感があったのは表紙(カバーやジャケット)と本文とのイメージの違いでした。表紙と本文関係を別人が担当するのだから当然なのですが、表紙は大人ぽいのに、本文は子供っぽくなっているなど、一冊の本としてイメージがバラバラになっていることでした。

当時、駆け出しだった私はクライアントの指示のままに、そんな本作りに流されていました。その後、業界にも慣れた頃に、「ブックデザイン(一部、造本とも言われていた)」という本つくりを行っている人たちがいることを知りました。意を強くした私は早速、当時、勤めていた会社の社長に「ブックデザイン」の仕事の獲得に奔走してもらいました。

1977年当時、出版におけるデザイナーの主な仕事は見た目(外見)だった。
クレイグ・トーマス著『ファイヤフォックス』株式会社パシフィカ
装幀:島津義晴 カバー・イラスト:金森進

一方、出版ニュース社では、K氏(当時、『出版ニュース』の編集長)が『出版ニュース』や『出版年鑑』を作る傍ら、単行本を定期的に出版する計画を進めていました。経費節減のためもあって社員を増やすことなく実現するために、「編集」と「デザイン」を共に行える人材を必要としたのです。そうした状況の中で、K氏に私の声が届き、私とK氏が出会うことになりました。

上で述べましたが、K氏の会社は既に数人の実績のあるデザイナーと関係がありました。そんな中で、私に『出版ニュース』のリニューアルの依頼があったのは、私がブックデザインを行えるということでしたが、それに加えて、K氏には「一緒に作りたい」という思いがあったからだと思います。依頼するデザイナーに実績があり、有名だったりすると、えてして本つくりがデザイナーの思惑通りに進み、編集者の考えや思いが反映されなくなります。K氏の意思に叶った本つくりをするには、融通のきく若い人材が必要だったのではないでしょうか。

真偽のほどはともかく「ブックデザイン」という新しい本つくりがさほど普及していない当時にあって、無名のデザイナーに一冊まるごと編集、デザインを任せるにはよほどの勇気と決断が必要だったのではないかと思います。
更に、条件は揃っていても本つくりのパートナーとしての相性の良し悪しは一緒に作ってみないと分かりません。K氏から依頼された最初の仕事、彌吉光長著『辞典活用ハンドブック』にはそんな意味が込められていたと思います。

彌吉光長著『辞典活用ハンドブック』出版ニュ-ス社 1984/06/20
造本:島津義晴+OUT

仕事は結果というけれど、仕事ぶりはもっと大事

この本の原稿は二度、三度と著者による追加の書き込みがあって、まず清書してから進めるべきものでした。当時の制作ラインの技術はすべてアナログです。その作業は途方もなく時間と費用がかかると思われました。

例えば、常々、見た目を中心に仕事をしているデザイナーにとって、誌面のデータを知るための字切りという作業は厄介です。
本文の組み体裁で1行が43文字だったら、禁則(文字組みの規則)に従って1文字1文字数えて43文字ずつ区切り、すべての原稿の行数を出します。その作業は退屈のひとことに尽きます。
現在はPCの編集ソフトを起動し、ドキュメント上のワンクリックですべての原稿が流し込まれて総ページ数が判明しますが、当時は地道な字切り作業の積み重ねでページ数の概算を出していたのです。
さらに、この時の原稿の厄介さは文章の流れの中に表組みがあることでした。表組みを本文の流れの中に挿入するのは字切り以上に面倒な作業だったのです。
このように字切りと表組みの作業だけを考えても膨大な時間が必要で、とても予定されている期日には出版できそうにありませんでした。

『辞典活用ハンドブック』のブックデザインについては後に話題にしますが、期日に間に合わせるために、私はこの本ならではの工夫をしました。そして、その工夫は功を奏したといえます。
K氏はこの仕事を高く評価してくれました。それはデザイン(見かけ)だけではなく、「期日に間に合わせるための工夫」や「内容に沿った作り方」から考えていくという「仕事ぶり」でした。

編集者(依頼者)はたびたび「お任せします」といいます。しかし、言葉どおりに受け取っていたら後々苦い思いを味わうことがあります。
編集者とデザイナーは立場も違うし能力も違います。編集者は本つくりの「考え」や「意図」などを論理的に伝えてくれますが、そこに具体的な「形」があるわけではありません。「形」にするのはデザイナーの役割です。デザイナーは編集者の「考え」や「意図」に従ってひとつひとつ具体的な「形」にしていきます。
ほとんどの仕事では途中でラフ出しというのがあります。デザイナーは編集者の「考え」や「意図」を元にイメージした形のラフスケッチを提示して、担当の編集者や関係者のチェックを受けます。その段階でラフスケッチをきっかけにして編集者たちにも具体的な形やイメージが色々と浮かび上がってくるらしく、デザイナーが提示した「形」より、自分がイメージした「形」にこだわりが生じるようになります。そして、それは追加の「直し」や「注文」となってきます。私だけでなくデザイナーの多くはこの時に大きなストレスを感じるのではないでしょうか。
私はこの本の場合もそうしたこともあり得ると考えていました。
しかし、K氏からはそういう口出しは一切ありませんでした。不思議な感動がありました。

『出版ニュース』のリニューアルやタイトルデザインが依頼されるにはこのような信頼関係がありました。

私の周りの独立したデザイナー達は仕事を得るために先生や先輩など、知り合いを訪ねたり、飛び込みの営業をしたりしていましたが、私は内気な性格が災いしてそのような営業はできませんでした。「営業」が苦手なのです。
代わりに「デザインに対する思い」や「アイディア」は沢山ありました。生活の中で目にしたものに不満を抱いたり、感動したりした時には、必ず自分だったらどうするかと問いかけた結果なのです。そのようにして得た考えを誰彼なく語っていました。消極的ともいえるそのような営業スタイルは結果につながるまでには時間がかかるけれど、それらをきっかけにして人や仕事に出会ってしまうと強い信頼関係が生まれ、やり甲斐もあり楽しい仕事にもなりました。