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ガリ版(謄写版)印刷文字風に小説を書いてみた

筆まめブログの24回では、ガリ版(謄写版)印刷文字風に冊子の本文を書いた話をしました。

その後ですが、出来あがった冊子(本文の部分)を改めて見てみると、中、高校生の頃に夢中になって書いていたガリ版印刷文字はこんなものだったのだろうか? と「疑い」が湧いて出ました。
少しの期間悶々とした後、もう一度、書いてみる事にしました。

しかし、思うような文字が書けませんでした。繰り返し書きながら当時を思い出していると文字が様変わりしてしまった原因が分かりました。
それは50数年とういう時間が作用した結果だったのです。随分長く生きているので当たり前の事ですが、日々をこつこつ生きていると記憶は「あの頃」のままなのです。

どうしてもあの頃に書いていたガリ版印刷文字をもう一度自分のものにしたいと思いました。全く同じ字が書けなくても、自信を持って、これが私のガリ版印刷文字だと言い切れる形を探し当てたいと思ったのです。

今回は原点に帰って、ガリ版印刷文字の練習をした経過や結果をリポートします。
以下の画像は練習を始めて半年ほど経過した時点の結果です。

01_彼方のゆめちゃん_表紙
『彼方のゆめちゃん』表紙
用紙:クラフト紙 厚手 印刷:1色刷(DIC156,R:175 G:0 B:0)
………………………………………………
著者:秋津良晴 発行所:Chabeans-チャビーンズ
ブックデザイン:島津義晴 本文書き文字:島津義晴
A6判(文庫本)
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文庫名、タイトル、著者名はフォントを使用して印刷文字風に加工したもの。
ロゴはチャビーンズのためにつくった。
囲み罫は直線部分を古書からスキャンしてデザインした。
02_彼方のゆめちゃん_総扉
総扉
文庫名、タイトル、著者名、ロゴなどは表紙と同様のもの。
囲み罫は古書から直線をスキャンして総扉用にデザインした。
03_彼方のゆめちゃん_本文扉
本文扉
このページ以下の本文はガリ版印刷文字風にペンで書いたもの。
柱やノンブルはフォントを使用。
05_彼方のゆめちゃん_p.003
p.003
04_彼方のゆめちゃん_p.002
p.002
07_彼方のゆめちゃん_p.005
p.005
06_彼方のゆめちゃん_p.004
p.004

記憶は 都合よく 上書きされている

練習用の材料(文章)は昔書いた小説にしました。
用紙、ペン、インキなどはエッセイを書いた時に使ったものをそのまま使用しました。

この時、知人から届いた年賀状に、
「…思い出は 美しく 上書きされている…」
という一文があった事を思い出しました。

ガリ版印刷文字はこんなものだったのかという「疑い」の元は、中・高校生当時に書けていたガリ版印刷文字は、今でも書けると思い込んでいた事にありました。
私の記憶(思い出)も例に違わず、美しく、上書きされていたようです。正確には「美しく」ではなく「(その場の都合に合わせて)上書きされていた」と言えます。

ここで初めて、50数年の時間が影響していると気付きました。そして、その半世紀がどのように作用したのかを具体的に確かめてみました。

記憶の上書きとは

ガリ版(謄写版)印刷の文字に出会った時の私はまだ10歳。謄写版印刷というものを知りませんでした。そこに印刷された文字はペンで書いてあると思い込み、ひたすらペンで真似をしていました。

その頃(1950〜1960年代)は、まだまだ手書き文字の時代です。Eメールなどはなく、通信手段はハガキや手紙が一般的でした。
文字の練習をしている事を知った父や母、時には近所のおばちゃんたちが手紙やハガキの代筆を頼んでくれたのが励みになりました。
この頃にペンで書くガリ版印刷文字の書体が出来上がったと言えます。

08_ペンで書いたハガキ
画像は現在の私が万年筆で書いたもの。
1960年当時は、ハガキの場合はつけペンを使って書き、ノートは万年筆で書いていました。
………………………………………………
父、母と私は九州にいて、遠方に嫁いだ二人の姉は競うように手紙をくれました。
その返事を書かされたのです。

中学生になり、1年生の夏休みの宿題で日記を書かされました。日記は字の練習に格好の材料でした。40日間欠かさずにガリ版印刷文字を真似て書きました。
その時の担任の先生が日記を見て驚いたようです。驚きの原因は日記という退屈な宿題を40日間欠かさずに書き続けた事と、それがガリ版印刷文字だった事でした。

後日、その先生がガリ版(謄写版)印刷の教本をくれました。
当時、テストの問題や家庭への連絡のための文書などは、先生たちひとりひとりが謄写版印刷で作成したものでした。従って、先生たちは各々が自分の器材と教本を持っていました。先生はその教本を私にくれたのでした。

それまで、私は数枚の年賀状や暑中見舞いに印刷してある数少ない文字を頼りに練習をしていました。数の多い漢字はともかく仮名も、形がわからない文字が沢山あり手探り状態で練習をしていました。
しかし、教本が手に入ると、見本になるような文字数こそ少なかったけれど、ハガキの文字数に比べると何倍もありました。しかも、そこからは形の法則などを読み取る事ができ、自信を持って練習する事ができるようになりました。
それからは、ひたすらガリ版印刷文字を書く日々でした。

中学3年生になると、更に確かな文字の形が分かるようになりました。と言うのは、幸運な事にガリ版印刷文字を書く先生が担任になったのです。

推測ですが、中学1年、2年とガリ版印刷文字を書き続けていた私は、恐らく、1年生時の担任の先生の推薦で職員室に貼り出す組織図や時間割表、その他、運動会の横断幕、校内に設置する投書箱などの文字を書かせてもらっていたので、先生たちの間では有名になっていたのだろうと思います。
だから、3年生時は進学・進路を左右する学年でもあるし、私をガリ版印刷文字を書く先生(美術の先生)のクラスに入れたものと思われます。

担任になった先生は学校の公的文書の主なものをガリ版印刷文字で書いていました。例えばオリエンテーションで使用する(恐らくB5判)8ページほどもある印刷物などです。そこは日常で使用する範囲の仮名や漢字に溢れていました。

私はそれをきっかけにして「謄写版印刷クラブ」を作り、高校への受験勉強もせずに本格的なガリ版印刷の道へのめり込んでいきました。そしてガリ版印刷文字の基本的な書き方や印刷の方法を学ぶ事ができたのです。
ここに、私の謄写版印刷(ガリ版印刷)の文字が完成したのです。
そして、この時学んだ鈩(ヤスリ)と鉄筆によるガリ版印刷文字が、これ以降のペンや万年筆で書くガリ版印刷文字の基本になったのです。

このようにして、私の中にガリ版印刷の文字を真似たペン字の書体と、鉄筆で書くガリ版印刷の書体の二つの書体ができあがりました。

さて、後のことですが、この辺りから私の記憶が混濁していきます。

3段階の上書き

高校に行くと美術系大学受験のために美術クラブに入ってデッサン三昧になりました。従って、ガリ版印刷を行う機会は激減しました。
しかし、相変わらず万年筆や鉛筆などでガリ版印刷文字を書いていました。

中学を卒業する頃までは鉄筆によるガリ版印刷文字とペンによるものと2種類のガリ版印刷文字を意識的に書き分けていたのですが、この頃から二つの書体はいつの間にか混ざり合ってしまっていました。それぞれが似て非なるものという認識は無くなり、一つのイメージになっていたのです。

これが「上書き」の第一だと思われます。

20歳を過ぎて希望通りにデザイナーになる事ができました。
デザインを職業にすると沢山の活字や写植文字と出会いました。中に「タイポス」や「ナール」と言った、ガリ版印刷文字と似たような、懐(ふところ)を広くしてマス目いっぱいにデザインされた文字に触れる事が多くなり、多分にそれらの造形に影響されました。

さらに、知らず知らずのうちに身についた「文字を描く(書く)」という技術は、デザインを行う上で大きな力になってくれました。レタリングやロゴタイプの仕事も増えました。そして、決定的なのは謄写版印刷の文字の元になった明朝体やゴシック体もデザインするようになったのです(タイプフェイスデザイン)。

この頃の文字を書く技術は「溝引き定規」によるもの、烏口などのような「製図器材」を使ったものでした。レタリングの仕事は溝引き定規、竹ペン、筆などを使用し、ロゴタイプやマークなどは製図器材を使って書きました。
このようにプロとしての仕事は原稿(依頼)の内容によって道具も多様化し、様々な書体を書くようになっていきました。
こうしたプロとしての経験は造形感覚を洗練させ、考えや価値観までも塗り替えていったと思われます。

これが「上書き」の第二です。

この後、病を得て生活習慣や生き方(考え方)までも変える必要に迫られました。
文字を書く事において束縛性の高いガリ版印刷文字や四角い文字(写植やフォント)からは遠ざかるようになり、毛筆を多用(練習)するようになりました。

※ここで言う「毛筆」は書道や習字とは違います。筆で書く文字くらいの意味です。

筆字「風」 装幀用に書いた筆字
【装幀用に書いた筆字】
一般に、書家氏などに「風」を書いてくださいと依頼したら、ほとんどの場合で縦位置の半紙にその一文字を書いてくれるので、表紙ではこじんまりとした扱いになる事が多い。
装幀のイメージは吹き抜ける風だったので、裏表紙まで使った横長の文字にした。
筆字ありきの装幀ではなく、装幀の過程で生まれた筆文字であった。
このような発想も筆字の自由さから学んだ。

毛筆による文字はガリ版印刷文字とは対極にあるものと言えます。ガリ版印刷文字はいわば「手書きの活字」です。四角い枠にきっちり収め、ハネやハラいなどのエレメントは統一する必要があります。

毛筆はそれらの束縛から解放してくれます。それは文字を書く作業だけではなく、日常生活の判断や選択なども柔軟にしてくれました。
そのようにして書いた筆文字は、見ようによっては「適当」「いい加減」と否定的に捉えられるかもしれません。しかし、どちらかと言うと生真面目で理屈っぽい私には必要な薬だったのです。

これが第三の「上書き_になりました。

「加齢」は文字の造形にどのように作用したか

上書きの他に、文字を変化させた原因の一つに「加齢」がありました。
3段階に上書きされるまでには20数年を、さらに『Design 書』を書いた時までを加えると50数年の歳月を経ています。つまり、歳をとったということです。当然、その歳月の「加齢」による影響は測り知れないものがあります。

私は保育園や小学校で撮影のボランティアをしていました。撮影とひと口で言っても撮影から現像、そしてプリントとデータ用DISC作成までを担当していましたが、中でも現像は神経を使いました。

※ここで言う現像とは「RAW現像」の事で、カメラが捉えた光のデータを劣化させずに調整し、自分好みの写真に仕上げる作業です。撮影時の明るさや色味を後から幅広く変更できるため、白飛び・黒潰れの補正や、思い通りのクリエイティブな表現が可能になります。現像という作業工程が増えますが、撮影時はいろいろな設定を気にせずに、撮影に集中できます。
※撮影時の「撮影モード」でクォリティ(RAW、Fine、Jpegなどがある)を設定する際に「RAW」を選ぶと現像が必要になります。

現像の最後に水平の調整とトリミングを行います。60歳を過ぎた頃からこの水平の調整が多くなりました。原因はカメラを支える腕が弱っているからでしょうか? それとも眼のどこかが悪いのでしょうか? またはその両方か他の理由があるのでしょうか? 

理由の一つは加齢が眼に影響している事を自覚しました。元々、両目には乱視の傾向があり、視力に差がありましたが、歳をとるに連れてその差が広がったと思われます。TVの字幕が一定の角度で傾いて見えたりした事で分かりました。
傾きの原因はそれだけではなさそうですが、その他の事は判明しないまま現在に至っています。

カメラで傾きを自覚し始めた頃の撮影は一脚や三脚を使用していましたし、仕事のほとんどはPCで行っていました。従って、仕事でのモノづくりに支障が無かったので、ガリ版印刷文字を書くと決めた時にはすっかり忘れていました。

『Design書』で、本文をガリ版文字風に書こうと思った時には、以上のような3度の上書きと加齢によって変化した「ガリ版印刷文字」になってしまっていたのです。

原点に帰る 〜沿溝ゴシック体をペンで書く〜

とりたてて意識する事もせずに書いた時のガリ版印刷文字は、長い年月で上書きされたものになっていました。
もう一度あの頃の文字が書きたいと思う気持ちを抑えられなくなった私は、初心(原点)に帰って練習する事にしました。

あの頃の文字とは、中学3年生で完成させた「鈩(ヤスリ)と鉄筆によるガリ版印刷文字」です。または、それを真似て書いていたペン字です。

あの頃は、中学1年生時の担任の先生からもらった教本と、3年生時の担任の先生がガリ版印刷文字で書いたプリントを片時も離すことはありませんでした。
しかし今、それらは手元にはありません。字形が違ってはいますが、浅野氏の『謄寫印刷初等教本』を読み返し、手元に置いて練習する事にしました。

昭和堂技術叢書 第1篇
謄寫印刷初等教本 製版篇
昭和24年7月25日印刷 昭和24年8月1日発行
昭和謄寫堂版権所有
著述•製版:浅野—郎
印刷:昭和膳寫堂印刷部 発行所:昭和謄寫堂出版部
東京都千代田區神田三崎町1の1
電話:九段(33)2936番 振替東京:39859番
定價:120円

ガリ版印刷文字は主に楷書体、ゴシック体、宋朝体などがあります。私が年賀状で見たのはゴシック体(正確には沿溝ゴシック体)でした。

ちょっと脇道に逸れます。ここで、ガリ版印刷文字の書体で、最も一般的に書かれている「楷書体」と私が年賀状で見た「ゴシック体」について簡単に説明します。
説明は浅野一郎著『謄寫印刷初等教本』を参考にしました。

【楷書体とゴシック体の鈩と鉄筆の比較】
左が楷書体用。鈩の溝は浅めで幅も狭いのに比較して鉄筆の先端は大きめにできている。従って、鉄筆の先端は溝に影響されにくく、鈩の表面(赤い線)の上を比較的自由に動かす事ができるので思ったような文字が書ける。 
右がゴシック体用。鈩の溝は深めで幅は広い。鉄筆の先端は小さな円形をしているので少し溝に落ち込む。従って鉄筆は溝に沿って動くので「水平、垂直」を容易に書く事ができる。逆に自由な曲線は難しくなる。


▼画像 鈩(ヤスリ)と鉄筆

【鈩(ヤスリ)の種類】
上は代表する鈩。左から「単目鈩」「方眼鈩」「X目鈩」。
単目鈩はしっかりした直線を書きたい時などに使われる。
方眼鈩は沿溝ゴシック体を書く時に、X目鈩は楷書体など自由な字を書く時に使う。

【楷書体】
楷書体(ペン習字のような書体)は最も一般に行われているガリ版印刷文字の事で、鈩(ヤスリ)の溝に落ち込まない太さの鉄筆で鈩の平面を一定の圧力と速度で擦過(さっか)して原紙に孔あける方法です。
この書体は鈩の溝に足をとられる事が少なく字が書けるという製版様式です。従って文字の形は各人各様です。

※ここで言う擦過(さっか)とは、鈩(ヤスリ)の上に置いた蝋引きの原紙の表面を鉄筆でこすり、蝋を削り取ること。つまり、鉄筆によって文字を書く作業。

【沿溝ゴシック体】
沿溝ゴシック体は方眼鈩の横溝、縦溝によってできる沿溝線を基本画として構成されるガリ版印刷文字です。従って、鈩の溝に若干落ち込むくらいの細めの鉄筆を使います。そうする事で縦、横の線が溝に沿って書かれるので、それぞれの線は直線になり、縦、横の線の関係は直角になります。
この書体はもともとガリ版印刷文字に印刷美を希求することによって考えだされたものなのでスピード製版用としては用いません。

沿溝ゴシック体は説明にあるように美しさを追求して考案された文字なので早く書きたい、仕上げたいなどの目的では使用しないものです。それは単にゆっくり書くという事だけではなく、造形を確かなものにするために筆順なども無視して書きます。

改めて「ガリ版印刷文字」の基本的な考え方を読むと、私はこれまでいかに曖昧に書いていたかを思い知らされます。上書きされた結果だと認識しました。

【楷書体で書かれたページ】
【沿溝ゴシック体で書かれたページ】

改めて、沿溝ゴシック体とは、
「方眼鈩の横溝、縦溝によってできるの沿溝線を基本画として構成される」という事です。
上で沿溝ゴシック体を書く時に使用する鈩を紹介していますが、水平、垂直の「溝」はまっすぐに刻まれていて、直角に交差しています。従って、この鈩を使用すると苦もなく縦画、横画はまっすぐな線になりその関係は直角になります。
私はペンで文字を書く時、直線を書く事のみに集中し、直角に書く意識は薄かったと思います。

次に、沿溝ゴシック体は、
「美しさを追求して考案された文字」という事です。
教本にはその事について詳しくは書かれていませんが、文字を文字として書くのではなく、美しい記号(または図形)として書く事と理解できます。
そのために、楷書体のように毛筆(またはペン習字など)を基本とした書き方、例えば「打ち込み」「トメ」「ハネ」などの要素を一切を無くして、単なる「線」として書きます。
そして、美しい造形にするためには敢えて筆順も無視します。

その考えは動き(運筆)にも及びます。
沿溝ゴシック体は楷書体のように速度差を用いません。全てを等速で「ゆっくり」書く事で情感を抑えた、より記号的な文字になります。

・横画、縦画はまっすぐに書く
・横画、縦画の関係は90度である
・文字を記号として認識し、美しい形を作り出す
・筆順を無視してよい
・等速で書く
これらの事を意識して書くことによって、私は、私のガリ版印刷文字を確かなものにする事ができると思いました。

ここにきて、当時、私が字の練習しているのを傍で見ていた友人が、「1文字書くのに2分かかった」と言った言葉が納得できました。

『Design 書』でエッセイを書いている時に、その逸話を時折思い出事があったのですが、どんなにゆっくり書いても1分もかかりませんでした。記憶が違っていたのではないかと疑っていたのです。
しかし、以上の法則で文字を書いてみると、画数の多い文字の場合には2分かかる事もありました。

一つのことに慣れてくると、いつの間にかその場その場の都合の良いように記憶していくという事を実感しました。
この時から、最低でも上述の5項目の法則を毎回思い出すようにして作業を進めました。

ところが、です。それでも「加齢」による影響は「傾き」として出ました。恐らく手のひらや指先の動きが悪くなっているのではないかと思われます。
これはもう、繰り返し練習してその修正法を身体で覚えるしかありません。小説を全話書き終える頃には習得できていると思います。

【鈩(ヤスリ)】
真ん中の濃いグレーの部分が鈩。
上に蝋(ろう)引きした原紙を置き、鉄筆で書く。
【鉄筆】
太い方が楷書体用。細い方が沿溝ゴシック体用。

練習で起こった事

[インキとペン先]
昔、私がスタッフに宛てて書いた『彼方のゆめちゃん』という小説があり、これが昭和の真っ只中の話です。ガリ版印刷が行われていた頃とイメージが一致するのでモティーフに選びました。

早速、原稿用紙を準備して書き始めました。ところが、上述のように沿溝ゴシック体は「さらさら」と書くものではなく、一筆、一画を間を置きながら書いていくものなのです。横棒を書いてそのまま縦棒を書くということはありません。一筆書いては「ふーッ」と息をはいたり、吸ったりします。なので、1行書き終えたらインキの出が悪くなってしまいました。

使っていたのは顔料のアクリルインクでした。ボトルに「よく振って使う」事を表すイラストがありました。つまり沈殿しやすく、固まりやすいようです。新しいインクであれば少しは出やすくなるかと思い、買い置きのものを試したけれど、やはり同じでした。

では、つけペンのインキはどうかと思って、これを試したら十分使用に耐えられそうでした。しかし、これはこれで問題がありました。出やすい代わりに色が「薄い」のです。
考えた末、「製図用インキ」を買ってきて試してみました。これが意外にいい感じで書けました。アクリルインクと比べると若干「薄い」のですが、幸いに仕上げはPhotshopなので濃さの調整はできます。つけペン用のインキも捨て難いのですが、今回は「製図用インキ」で書く事にしました。

インキが決まり、気分よく書き始めました。が、またまたドラブルが、、、、
今度はニブ(ペン先)に問題がありました。『Design 書』のエッセイをガリ版印刷文字で書いたために癖がついていて、今回、改めて基本に立ち返り、沿溝ゴシック体を書くに当たって決めたペンの使い方では不具合が生じたのです。
いろいろ工夫した結果、オイルストーンでペン先を加工する(研ぐ)事にしました。
なんだか、職人さんになったような気分でした。おかげで加工はうまくいきました。

[組体裁]
これより先、小説をモティーフにすると決めた時に書籍の基本型をつくりました。現在では、新刊は四六判が多いのでW=127mm × H=188mm にしました。
書き始めて気づいたのですが文字のサイズと1行あたりの字数(字詰)によっては印刷の用紙(手書き文字の原稿用紙)からはみ出てしまうのです。用紙はインキとの相性や質感などを吟味して決めているので代わりの用紙を探すのは簡単ではありません。

急遽、本文を上下に分けて書く事にしました。大きめの文字サイズ(10mm前後)なので書きやすくはなりました。
全ページ(1話4ページ)を書き終えてドキュメントに配置したところ、なんとなく不潔感がありました。上下の組み合わせ方は数値に従っているので間違っていない筈でした。理由は分かりません。往々にして手作業が加わると、そんな事が起こります。それはそれでいいと思える場合もありますが、ここでは手書き文字のアナログ感を引き立たせるためには、文字以外の箇所では何事もないフラットな感じがいいのです。

それでも、数値は正しいので気のせいと思い込ませながら全ページの作業は終えたのですがやはり気になって、結局、上下に分けるのをやめました。その代わり、基本型で1行の文字数を減らして文字のサイズも小さくしました。

【本文基本型】
文字のサイズ、字詰などの試行錯誤を繰り返してできた基本型。
最近の組版は天側の余白を少なくし、地側を広く取る傾向にあるが、
今回は明治期から昭和初期にかけて見かけた基本型を参考にしている。

モティーフにした小説について

私の会社が一番忙しかった時には、社員とアルバイトスタッフを含めて10人余りが働いていました。必然、トラブルも起きてきます。表だった諍(いさか)いは無かったものの不穏な空気は感じていました。そしてそれはコミュニケーション不足の事態となり、仕事にも影響するようになりました。

当時、各企業がメルマガを配信するようになっていました。私は小説を書いてスタッフ宛にメールを配信しようと企てました。そして、感想なり批判なりをスタッフ同士で話し合ってもらおうと思ったのです。
毎日配信するので、NHKの朝ドラをイメージして小説を書きました。

内容は自伝的小説で、『彼方のゆめちゃん』と題しました。内容は一話目を除いて、私が小学校に入学してから、卒業するまでの出来事をフィクションにしたものです。結果、200話くらいを1年間書き続けましたが、あと数話で卒業(完結)というところで、仕事が忙しくなって途中打ち切りになったままです。うまくいけば、今回のガリ版印刷文字で完結させられるかもしれません。それも励みになっています。

ところで、メルマガ配信の効果はというと、スタッフ間のコミュニケーション不足は解決されないままに終わっています。正確には、スタッフは私に対してはせっせと感想を寄越しましたが、スタッフ同士での会話は無かったのです。
人というのは思うようには動いてくれません。